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ケンイチ、DTをこじらせた挙句、『アナ雪』評で大失態、の巻 [シネマ・はすらー]

 今回はねー、完全に伊集院、しくじってるんですよ。アナ雪の件。

大ヒット映画「アナと雪の女王」はストーリー力なし 伊集院光「毒にも薬にもなんねえ映画」と貶す:J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2014/04/30203600.html @jcast_newsさんから


 伊集院は、「怒られちゃった」とか、「ネットの書き起こし記事が~」 とか、「ご不快にさせたりすることもあるかもしれませんが~」とか言ってすげー逃げ打って誤魔化していたけど、伊集院のアナ雪評が 「批判」されたのは、ただ単に伊集院が「間違えたこと言ってたから」 でしかないのですよ!

 感想がとか、好き嫌いが、ではなく、要するに、「毒にも薬にもならない(ディズニーの文法に全てのっとった、そこから一歩もはみ出すことのない)話」って言っていたでしょ

 「自分は特に心に響かなかった」 というだけにとどめればよかったのに、残念ながら、「『アナと雪の女王』のシナリオにはきちっと毒がある」 って事に、「全く気づいていなかった」って事を自ら露呈させてしまったから、「おいおい、ワカッテネーナー」と言われているわけなんですよ。

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週刊少年マガジン掲載の読みきり作品、『聲の形』 を読んだ、の巻 [マンガマニヤック]

 珍しく非常にタイムリーな話題についてささっと書きますが、週刊少年マガジン掲載の読みきり作品、『聲の形』 を読んだのであります。

【衝撃作】 週刊少年マガジン(12号)の特別読切「聲の形」(こえのかたち)は必読です。とにかく凄い作品です 
http://togetter.com/li/459336

求めていたのは和解ではなく拒絶~普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形~
http://togetter.com/li/459715


 大まかなあらすじとしてざっくりまとめてしまうと、「転校してきた聾唖の少女と、それをいじめる主人公の少年、その周りの人間たちの振る舞いを描いたお話」 です。

 僕が気になったきっかけは、上記リンクの二つ目などに見られる、「単なるご都合主義的パッピーエンドでしかない」、「いじめる側に何も報いがないから、カタルシスに欠ける」 というような、意見に関して。

 実際どういうものなのか、というのを確かめたく、読んでみたわけです。

以下、読んでみて分かった、「なぜそうなったのか」の、はなし。 [[>>続きを読む]


ブサカル小町へようこそ (ミソジニー、ミソジニーって、みそみそみそみそと、お前ら名古屋人か! Remix) [ヘボ論]

 影響受けるとか受けないとか、の、話、で。

 まあ、こんな話題が、ツイッター方面にてあったのですが、ね。


「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響」への反応
http://togetter.com/li/458173

*----[※2013/01/19追記。まとめ記事が削除された様子]----*
 なので以下、類似のまとめいくつか

「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響」について本人のツイート
http://togetter.com/li/458418

女の子が急にマニアックなこと言い出したら
http://togetter.com/li/458222

町山智浩「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。 」→炎上→平謝り
http://togetter.com/li/458540

町山智浩さん「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。」に対する反応
http://togetter.com/li/458575

*--------[追記おわり]-----------*

>女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。
> RT @boooodoooo: これは男がいるね
> RT @toyoki123: 今日のガチガセで1番テンションが上がったのは、きたりえが映画秘宝のガチ読者だったこと。 http://t.co/fkiUpieO

 という、映画とエロスの伝道師、コラムニストにして映画評論家の町山智浩さんのツイートを発端にしたアレやコレや。
 
 詳細はまとめ先を見ていただくとして、まあ、この件に関してぶつくさといわせていただくわけですが、ね。

 まず、町山さんのツイートに、「女のマニアックな趣味が、男の影響だなんて決め付けるな!」 というリアクションがあったりするわけですが、それはもう、「いや、別に決め付けてませんけど」 ということでしかないのですよね。
 ご本人が後に述べているとおりに、ただ「もともと何の素養も下地も無く、そんな傾向なんかちっともなかったよーな女の人が、突然マニアックな趣味にハマっていると発言し始めるときは、男の影響パターンって、ありがちだよね」 の、「あるあるトーク」でしかない。
 俺みたいなオサレボンクラが急にオサレし始めたら、女の影響だろーってなのと同じくらいの、あるあるトーク。

 流れの中でも、「女が自発的にマニアックな趣味にハマることは無い」というような流れには全然なっていないし、勿論、「女には所詮マニアックな趣味は分からない」なンて話もしていない。
 まとめのコメントでもそういう意見は少数で、そーゆー「決め付け」の話はしていない。
 僕の半径での知り合いでも、「落合信彦の本が好きで世界中の秘密組織を調べるのが趣味」の女性や、「猟奇殺人などのノンフィクションやルポルタージュを読むのが好き」な人など、さまざまな「マニアック」な人は居る。
 そーゆー人のことは、この流れでははなから話題にされていないのだ。


 全く元の文章文意を読み取りもしないで、曲解して怒ってれば、周りから呆れられるのには、男も女も関係ない話です。
 それを、「オンナだからこんな風に言われる」 みたいにまた持っていくと、今度は「だからオンナは(ドヤ」とか言い出すバカに目をつけられる。
 バカに男女の区別なし! バカは等しくバカである!
「元の文章文意を全く読み取らずに、勝手な解釈をして、勝手な正義感で、勝手に怒る人」 ってのは、男女問わず腐るほど居ます。
 僕程度であっても、そこらでわんわんその手の人には絡まれます。
 勿論、自分自身もそういうことをしでかすことはたびたびありますので、あんまりバカバカいえたもんでもありませんが、ええ。
 
 

まあ話し戻れば [>>[続きを読む]


中二病の件から、『痴豚vsシマウマの牛肉騒動』 を久しぶりに読み返した [ヘボ論]

「『中二病でも恋がしたい』 に関して、おゼゼは一切頂いておりませんからね!」
 という、『中二病』発案者伊集院光のトークに端を発して、久しぶりに『痴豚vsシマウマの牛肉騒動』 の件をネットで読み返したりした。
 
 
 痴豚vsシマウマの件というのは、発端としてはラッパーのZEEBRAが、ツイッターでアホの子から、「中二病オヤジ」と野次られたことから、「中二病って、伊集院が言い出したらしいな! 余計な事しやがって!」 と disった、ということ、からの、の話。

「正直めんどくせぇ!」伊集院光VS Zeebra『ディスり騒動』の顛末
http://npn.co.jp/article/detail/25073158/
 
 記事でも大雑把フランク・ザッパに触れられているのだけど、このツイートを知った伊集院が(珍しく)「ちゃんと伝えよう」 と考えて、dmにて事の詳細を直接教えようとする、も…、なんともニンともな感じに。

伊集院光が語る「ZEEBRAとのTwitter上での確執」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1834.html
 
 
 んで。
 僕としては、ぶっちゃけ伊集院側の感覚が強いのです。

 これはつまり、

『人間は基本的に分かり合える』 というう人間観、世界観の人間と、
『人間は基本的に分かり合えない』 という人間観、世界観の人間が、
『結局分かり合えなかった』 という話だと思うのですよ。


 んで、これは別に、どっちが正しい/正しくない、とかでなく、また、『伊集院はこういう人間で、シマウマさんはこういう人間だ(だから良い、/悪い)』 とかっていう話でもなく。
 タイプとして二分するなら、僕は、ゼブラではなくピッグ、もしくはポーク側のスタンスだな、という事。

 日本のムラ社会的な、「人間は理解し合える(主に皮膚感覚的に」という人間観の人は、いわゆるDQN的「殴り合ってダチ」な価値観でもある。
 あるいは、きちんと向き合って語り合うとかより、祭りで酒飲んで神輿担いでワッショイ、ワッショイと、『一体感』を共有すれば、それで 『解り合えた』、『仲間だ』 なんて思えたりもする。

 なので、シマウマvs..痴豚問題でもわかるように、「人間は基本分かり合えない」という人よりも、言葉に関して無神経になる。
 わかってもらうための努力を、「正直面倒くせぇ!」 と、簡単に放棄してしまう。
 
 「人間は基本、分かり合えない」という前提は、もちろん安易なニヒリズムとして言えば、「だからわかり合おうなんて無駄だ」 という敗北主義にも陥るけれども、「だから、相手を分かろう、自分を分ってもらおうという『努力』をきちんとするべき」ということにも繋がる。
 しかし逆に、「人間は基本分かり合える(主に皮膚感覚で)」という人は、「分かってもらえないからこそする努力」をする必要を感じていないということにもなる。
 だって、「分かり合えるのが当たり前」なんだもの。  
 
 そして、「人間は基本分かり合える(主に皮膚感覚で)」という前提だからこそ、「自分の言うことを『分からない』 奴は、『おかしい』」 という結論に安易に飛びつき易い。
 だって、「分かり合うのが当たり前」なのだから、その「当たり前」ができない奴は、欠陥があるということだもの。
 まさにこれが、『日本的ムラ社会の、異端排除理論』 の根幹をなすもの。

 痴豚さんは、「基本として人間は分かり合えないし、『自分は特にそうだ』」 という人間観、自意識。
 (んで、そこに僕は基本的に共感をしている)
 だから、「どうすれば自分の言いたいことをわかってもらえるだろうか?」 ということを常に考えている。
 だからこその話術だし、だからこそ言葉に対して真摯。
 シマウマさんは逆。
 
 シマウマ側の人は、「やっぱ人間、分かり合えるモンでしょ?」 という人間観。
 だから、「どうすれば自分の言いたいことをわかってもらえるか?」 よりも、「俺はいつでも言いたいことを言うZE!」 になる。
 無神経に言いたいことを言っても、「まともな人間ならわかってくれる」し、「わからない奴はおかしい」となる。
 
 
 なので、ピッグとゼブラは、やはり、『分かり合えない』 のです。
 
 
 と。
 そんな事を、読み返して、思ったりした、次第。
 
 

入れ墨騒動 feat.『海外は海外。日本は日本(ドヤ』と、申したか。 [ヘボ論]

 ところで僕は昔っから、「真夏にスーツとネクタイとか、気が狂ってるンじゃネーノ」と主張しています。
 
 スーツもネクタイも、どちらも基本的に、日本より寒い西欧諸国での「防寒着」です。
 寒気が入るのを防ぐために、身体にぴったりとした仕立てのスーツと、クビ元を締めるタイをしていた。
 その防寒着を、亜熱帯地方に近い日本で、気温も湿度も高い夏場に、「社会人の嗜み(ドヤ」 とか言って、クーラーガンガンかけながら汗だくで着ている。
 挙げ句、去年や今年の夏になったら、「原発停止状態では電力不足が懸念され」 とか大真面目な顔で宣っていたりする。
 まずそのクソ暑い防寒スタイルをヤメレ! ばかめ!

 これを、「バカ」と言わずに、何を「バカ」と言うのであろうか!?

 と、僕は常々思っているわけです。

 さて、その「スーツにネクタイは社会人の嗜み」なんて事抜かす輩が、です。


*-[記事引用]-------------------------*
職員の入れ墨「即ダメではない」と仙台市長
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120517-OYT1T00011.htm

> 仙台市の奥山恵美子市長は16日、定例の記者会見で職員の入れ墨を認めるか
>どうかについて、「即ダメと言うことではないと思う」と語り、入れ墨をしている
>職員の分限免職を検討する大阪市の橋下徹市長とは一線を画す姿勢を示した。

> 大阪市では、環境局の職員約50人が入れ墨をしていることが判明し、
>橋下市長は教職員を除く全職員を対象に調査したところ、110人が「入れ墨を
>している」と回答した。

> にわかに注目を集める公務員の入れ墨問題に関し、奥山市長は「昔からの入れ墨
の形式から、シールで一定の期間だけ文様を付けるものもある。海外では入れ墨的な
>ものを楽しんでいるので、文化の問題として考える必要がある」と述べ、職員への
調査を行う考えはないとした。

>(2012年5月17日09時12分 読売新聞)

*-[引用終了]-------------------------*



 この手の話題になると、突然、「日本には日本の文化がある(ドヤ」「海外は海外。日本は日本(ドヤ」等と言い出したりする。

 ジーパンにTシャツ着て、ピザとポテトチップむさぼり食って、ビール飲んで、windowsマシンでエロゲーやって、「海外は関係ない。日本には日本の文化が(ドヤ」。
 今挙げた中で日本の文化といえるのは、せいぜいエロゲーくらいじゃないか?
 結局のとこ単に、自分が好きか嫌いか、使うか使わないかだけの話じゃないのか?
 自分が好きなモノ、使うモノは「海外から取り入れOK」。嫌いなモノ、使わないモノに対しては「日本は日本、海外なんか関係ない」。

 しかし前回の記事でも書いたとおり、「日本の文化は元々、世界に冠たる彫り物先進国だった」 のだ。

 「海外の事なんか関係ない、日本は日本だ(ドヤ」 と言う人は、自分の語る「日本の文化」ってのが、どんだけ「海外の影響で形成されているか」ってのは全く考慮しない。
 海外は関係ないと頑なに言うのなら、洋服一枚着れやしないっつうの。
 漢字はどこ産? 中国産だ。 パソコンは日本発祥の日本文化か? 海外産海外文化なしに、今の我々の生活なんかイッコも成り立っていない。
 良かれ悪しかれ、好もう好まざると、「海外の文化なんか関係ない、一切考慮する必要なし」なんて、どの面下げても言える訳がない。
 
 そして、前述の「真夏にスーツにネクタイ」という「日本の風土に明らかにそぐわない文化」まで、明治政府が率先して取り入れ定着させてしまった。
「日本の野蛮で劣った文化風俗をどんどん捨てて、西欧の優れた文化を取り入れないと、世界でバカにされるぞ!」 という強迫観念の元に。

 この手の話題で、「日本は日本、海外は海外!」 とか言っている人たちの語る「日本」は、そーやって、江戸以前の日本の文化風俗を「野蛮で劣っている」と見なして、「頑張って日本らしさを捨てて、西欧らしくなろう」 とした果ての果てに成り立っている。
 その事実に何の矛盾も感じないで、「日本は日本(ドヤ」 って、俄似非国粋主義ぶっているっていうのは、どーかね?


 前回も含めて、僕がこのタトゥー騒動に関してのネット界隈等々のモノイイに対して言っているのは、「タトゥーは是か非か」の話じゃなく、「それを語る土台にすらたどり着いていない人たちの多さ」について、だ。
 それが、前回では、「『みんながダメって言っているから、ダメに決まっている』程度の、ただの長芋のにマカレナでしかない事をドヤ顔で述べる有様が、『原発安全神話』を無条件に信じていた頃と全く変わっていない」ということ。
 そして今回は、「『日本は日本、海外のタトゥー事情なんか関係ない』 と言うけれど、単に『自分の好き嫌い』『自分が既に馴染んでいるか否か』でしか話していない」 という点。

 どちらも、是非を論じる土俵にすら登れていない。


 さて。
 僕が何故、この話題についてエントリーを書いているのか。
 しかも、二回も。

 僕は表現規制に反対する立場だ。
 そして、オタクだ。
 だから、「自分にとって大切な何かが、他人にとってゴミクズ以下の無価値なモノでしかない事」を知っている。
 そして同様に、「僕にとってどうでも良い無価値なものが、ある誰かにとって大切な宝物であるかもしれない事」 も、知っている。

 僕にとって、タトゥーというものそれ自体は、無価値なものでしかない。
 別にしたいとも思わないし、親類縁者にお勧めする気もない。
 甥っ子や姪っ子が突然度派手なタトゥーを入れると言い出したら、取りあえずは「よし、まず、ちょっと待て」と言うだろう。
 一通りには物を言う。良かれ悪しかれ、リスクがあるという話もする。
 けど。
 それが、彼(彼女)にとって大切なのだと言うのであれば、それ以上口出しする事じゃあない。

 僕が最も嫌うのは、「自分にとって気に入らないモノ、自分にとって無価値なモノは、全て多数派の力でもって"ダメなもの箱"に押し込んで、蹴り飛ばして排除して構わない」 という社会であり、その上で良識だ常識だのにあぐらを掻き、多数派ぶってふんぞり返っている輩だ。
 そうして居直っていられれば、物事の背景や構造なんか、何も考えなくてかまやしない、という輩だ。

 そんな訳で、僕ぁそーゆーバカヤロウ共に、微力ながら「KICKK ASS ケツケットバース!」 為に、このファッキンテキストを書いているので、あーる。
 ピザとポテチを喰いながらな!
 


ギャングキング 1巻 (ヤングキングコミックス)

ギャングキング 1巻 (ヤングキングコミックス)

  • 作者: 柳内 大樹
  • 出版社/メーカー: 少年画報社
  • 発売日: 2004/02/12
  • メディア: コミック



 和彫りのジミーくん。

入れ墨騒動 feat.『3.11以降日本人は目覚めたのだ』と申される、が。 [ヘボ論]

 さて。
 僕らの大好きハーシモートー(ミーツハーシー、の発音で)さんやら、テレビでとある女性タレントが話題にしたりとかで、そこそこ話題の、「入れ墨騒動」。

 僕は恐らくこの件に関しては他の人と違う観点でモノを言っていて、また今回も違うことを言うのだけど、何か前にもこの件について触れたよーな気がするのですが、ちらっと一覧でタイトル観ても、いつぞやのロシア人2人組の名前が挙がっていないので、どうやら書いていなかったらしい。


 で。

 まず、入れ墨の「そもそも論」は、「呪術」なのですよ。
 罪人の証とされるのはその後。しかもそれは「世界各国で」ではない。
 本邦においてを言うならば、中国から入ってきた儒教的な刑罰としての入れ墨観。

 現にマオリ族なんかでは「入れ墨=罪人の証」とされていないので、今でも文化的伝統として入れ墨をしている。

 西欧での「現代」のタトゥー文化は、それら非キリスト教的伝統を敢えて取り入れるという、いわばアンチキリスト的な思想が源流にある、とも言える。
 これは基本的に非キリスト教文化圏である日本人にはなかなか分かりにくい感覚だろう。
(いきなり、ブラックメタルの由来とは北欧における文化復興としてのアンチキリストなのである、なんて話をされても良く分からんしねー)
 勿論アンチキリスト教的価値観というのはやはり、その文化圏におけるメーンカルチャーに対する反発があるので、結果としてギャングコミュニティに集約されやすい。
 マオリ族自体も貧困や差別などの背景から、結局ギャングコミュニティに飲み込まれていったりしている歴史的背景もあるので、この辺りは実に複雑でヤヤコシイ。

 ま、そういう「呪術としての入れ墨」という観点からすれば、某芸能人の方が、「自分の気持ちを整理するためにタトゥーを入れた」というのは、ある種まっとーもまっとーであり、王道も王道。
 正に、原初的呪術としての入れ墨として、正当なのだ。
 "タトゥー"だから軽々しい、んじゃなくて、日本の現代のそれを言うのであれば、そういう現代の西欧におけるタトゥーの文化的背景を考えずにただ形から真似ている、というのであれば、その思考が軽々しい、とは言えるだろうけどもね。

 
 

そして、「本邦において」を論ずるなら、「入れ墨」と「彫り物」が、全く別のものとして文化的発展を遂げていた事には触れないとおかしいのだ。[>>続きを読む]


『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』&銀幕デヴュー、のはなし。 [シネマ・はすらー]

 どうも。
 先日、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』にて、銀幕デビューをしてきた者です。
 つまり今後はワタクシのことを、映画スター、若しくは俳優として認識なさってくださってもよろしくってよ?
 今後の活動は未定です。サインが欲しい方(ナオンさん)は連絡クダサイ。 

 さて。
 その、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』を、渋谷クンダリーニまで行ってみてきたのですよ、ワタクシは。
 ああ、面倒くせぇなっ!
 しかしワタクシにとってこの、『SRサイタマノラッパー』シリーズというのは、一言で言えばこれが、「…俺の映画だッ…!」という作品。
 なので、「観ない」という選択肢は、ハナからあり得ないのです。
 いや勿論それは、エキストラとして…あ、いや、俳優として出演している、という意味で、ではありません。

 結論から言えば、「良かったッ!」です。
 そして、又観ます。必ず。

何が良かったか? と言えば、「精神が変わっていない」ところ。 [>> 続きを読む]


コミックビーム連載中の、『原発幻魔大戦』、の、話。 [マンガマニヤック]

 いましろたかしがコミックビームで、呑気な釣り漫画を描いていたのは、およそ1年とちょっと前の話。
 全くもって見事なほどに、ただのんべんだらりとおっさん2人が釣りに行って蚊に刺されたりなんだりしてわいわいやってる、というだけの、もの凄く脱力する漫画だった。

 しかしそれが一変、突如として「東京で独り暮らしをしているサラリーマン青年の怒り」を描く漫画になる。
 何故? いつから?

 3.11。東日本大震災があり、福島第一原発がメルトダウンを起こしてから、だ。

 この話の中で、主人公の青年はいつも怒り、不安に駆られ、苛立ちを口にしている。
 いや、言い替えよう。
 この漫画は、主人公の苛立ちや不安、怒り以外、何もない。
 ネットで情報を漁り、菅直人に期待をしては裏切られ、TPPの話が起きれば野田政権に怒り、ときには陰謀論を揶揄しつつも口にする。
 「どーなっちゃうんだよ、これ」
 漫画の中で事件は一切起きない。
 何故なら、事件はずっと、現実で起き続けているからだ。

 ネット等々で、この作品への批判的な意見は多い。
 ただこの漫画を不快に感じるとしたら、まさにあの中で書かれている姿が、今の日本人の「普通」であり、「日常」の姿だからだろう。
 とにかく不安だし、この先どーなるか分からない。
 情報だけは飛び交うが、かといって何一つ確証も持てずに、右往左往してただ踊らされるしかない。
 
  正しい情報を伝えるのは報道の仕事だし、津波被害の多かった被災地や原発事故の起きたフクシマについての記録は色々と残され、何れアーカイブ化も検証もされるはずだろう。
 そしてそれらを「余所から訪れる」話や漫画も描かれているし語られている。
 被災地ではこんな苦労がある。こんな酷いことが起きている。
 そういう話は、多くの場所で語られている。
 ただ、この漫画はそうじゃない。
 「津波被災地」や「原発事故被災地」ではない場所で、「3.11以降」 を生きる「ごく普通の我々の感情や不安、生活」 を、リアルタイム描いている。
 この、『原発幻魔大戦』 で描かれているものの根っこは、何が正しいとか、何が間違えているとか、或いは政治的にどうすべきかという主義主張ではない。
 「3.11以降のどーしようもない日常を生きる、どーしよーも無い我々」そのものだ。

 言い替えれば、それがどこまで意図的かとは別に、この漫画が描いていることは、「3.11」が語られるときに形式的に作られてしまう、「東北3県のみが被災地で、それ以外の“我々”は、“支援”する側だ」 という図式が3.11以降を語る “全てではない”という事実でもある。
 3.11の震災から、そこで起きた原発事故以降を生きている“我々”は、東京にいようと何処にいようと、全員が様々な意味で “当事者” であり、そしてその中を「どーしょーもない不安と、それに対するどーしょーもなさ」 の中を生きている。
 そこにあるやりきれない生身の感情。
 『原発幻魔大戦』 の主人公が、ただ何も出来ずに怒り、焦り、不安に思う姿は、そこで語られる言葉に同意するか共感するかとは別にして、まさに「3.11以降の日常を生きる我々」 の、リアルな姿だ。

 だから、この漫画の中では一切事件は起きない。
 事件は、現実で進行し続けている。

 この描かれ方は、「セシウムさいた」 への批判にも見え隠れする、「フクシマ以外は当事者ではない(だから、当事者じゃない埼玉の人間がそんな言葉を軽々しく使うな)」 という意識、欺瞞への、一つのカウンターでもあると思う。
 
 今、日本で、原発事故の傍観者なんて1人も居ない。
 『原発幻魔大戦』 の中で、ただ無力に焦り怒る主人公同様、全ての日本人が当事者なのだから。


 内容への賛否快不快は人それぞれとしても、そう言う意味でこの作品は、「後世に残すべき漫画」として、リアルタイムに描かれ続けている。

 
 読もう! コミックビーム!
 (今月は、桜玉吉も復帰したよ!)





原発幻魔大戦 (ビームコミックス)

原発幻魔大戦 (ビームコミックス)

  • 作者: いましろたかし
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2012/02/25
  • メディア: コミック



月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2012/03/12
  • メディア: 雑誌



月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2012/03/12
  • メディア: 雑誌



「事件は漫画の中で起きているんじゃない」 [と条例問題]

 まずはニュース記事から。

教諭、女子高生に睡眠導入剤飲ませわいせつ行為
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110628-OYT1T00933.htm

 それでまあ、そこにちょいと、NHKのニュースで見た情報を補足。

[以下、ニュースよりの補足]

 小平市の50代男性中学校教諭は、ネット上のプロフィールから目星を付けた高校生女子に対して、「7万円でデートして欲しい」とメールを送るが、それが断られると今度は100通以上のメールを執拗に送りつけ、「胸の写真を送ればメールをしない」と脅迫。
 しかし、送られた写真を元に今度は「写真をばらまかれたくなければ会いに来い」と脅迫。
 その結果、ホテルで睡眠導入剤を飲ませ昏睡させてからの性的暴行に及んだとされる。

[以上ニュースよりの補足]


 何が言いたいか、と言いますと、ね。

 現実の、実在児童(未成年)への、「性的暴行、虐待」 は、こういう風に起きている、という事です。
 いい歳こいた大人が、脅迫や嫌がらせを繰り返して起こしている。
 漫画やアニメを見てウヒウヒ言ってるアホンダラ共は、別に何もしちゃあいない。
 漫画やアニメの美少女見てウヒウヒ萌え萌え言ってるだけだ。
 
 なのに、何故か石原慎太郎も警察も役人も、「非実在児童」を守ろうとしている。
 躍起になって、もうそれこそ親の敵かのように、出版社を締め付け、漫画を規制しようとしている。

 「エラい人たち」 は、誰も、実在児童のことなんか守ろうとしちゃいないのだ。
 
 

「何故か?」   [[>> 続きを読む]]


東日本大地震に関して [イラスト]

201103_HaruShitaraba_Keitai.jpg

 春は必ず来るよ。
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