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入れ墨騒動 feat.『海外は海外。日本は日本(ドヤ』と、申したか。 [ヘボ論]

 ところで僕は昔っから、「真夏にスーツとネクタイとか、気が狂ってるンじゃネーノ」と主張しています。
 
 スーツもネクタイも、どちらも基本的に、日本より寒い西欧諸国での「防寒着」です。
 寒気が入るのを防ぐために、身体にぴったりとした仕立てのスーツと、クビ元を締めるタイをしていた。
 その防寒着を、亜熱帯地方に近い日本で、気温も湿度も高い夏場に、「社会人の嗜み(ドヤ」 とか言って、クーラーガンガンかけながら汗だくで着ている。
 挙げ句、去年や今年の夏になったら、「原発停止状態では電力不足が懸念され」 とか大真面目な顔で宣っていたりする。
 まずそのクソ暑い防寒スタイルをヤメレ! ばかめ!

 これを、「バカ」と言わずに、何を「バカ」と言うのであろうか!?

 と、僕は常々思っているわけです。

 さて、その「スーツにネクタイは社会人の嗜み」なんて事抜かす輩が、です。


*-[記事引用]-------------------------*
職員の入れ墨「即ダメではない」と仙台市長
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120517-OYT1T00011.htm

> 仙台市の奥山恵美子市長は16日、定例の記者会見で職員の入れ墨を認めるか
>どうかについて、「即ダメと言うことではないと思う」と語り、入れ墨をしている
>職員の分限免職を検討する大阪市の橋下徹市長とは一線を画す姿勢を示した。

> 大阪市では、環境局の職員約50人が入れ墨をしていることが判明し、
>橋下市長は教職員を除く全職員を対象に調査したところ、110人が「入れ墨を
>している」と回答した。

> にわかに注目を集める公務員の入れ墨問題に関し、奥山市長は「昔からの入れ墨
の形式から、シールで一定の期間だけ文様を付けるものもある。海外では入れ墨的な
>ものを楽しんでいるので、文化の問題として考える必要がある」と述べ、職員への
調査を行う考えはないとした。

>(2012年5月17日09時12分 読売新聞)

*-[引用終了]-------------------------*



 この手の話題になると、突然、「日本には日本の文化がある(ドヤ」「海外は海外。日本は日本(ドヤ」等と言い出したりする。

 ジーパンにTシャツ着て、ピザとポテトチップむさぼり食って、ビール飲んで、windowsマシンでエロゲーやって、「海外は関係ない。日本には日本の文化が(ドヤ」。
 今挙げた中で日本の文化といえるのは、せいぜいエロゲーくらいじゃないか?
 結局のとこ単に、自分が好きか嫌いか、使うか使わないかだけの話じゃないのか?
 自分が好きなモノ、使うモノは「海外から取り入れOK」。嫌いなモノ、使わないモノに対しては「日本は日本、海外なんか関係ない」。

 しかし前回の記事でも書いたとおり、「日本の文化は元々、世界に冠たる彫り物先進国だった」 のだ。

 「海外の事なんか関係ない、日本は日本だ(ドヤ」 と言う人は、自分の語る「日本の文化」ってのが、どんだけ「海外の影響で形成されているか」ってのは全く考慮しない。
 海外は関係ないと頑なに言うのなら、洋服一枚着れやしないっつうの。
 漢字はどこ産? 中国産だ。 パソコンは日本発祥の日本文化か? 海外産海外文化なしに、今の我々の生活なんかイッコも成り立っていない。
 良かれ悪しかれ、好もう好まざると、「海外の文化なんか関係ない、一切考慮する必要なし」なんて、どの面下げても言える訳がない。
 
 そして、前述の「真夏にスーツにネクタイ」という「日本の風土に明らかにそぐわない文化」まで、明治政府が率先して取り入れ定着させてしまった。
「日本の野蛮で劣った文化風俗をどんどん捨てて、西欧の優れた文化を取り入れないと、世界でバカにされるぞ!」 という強迫観念の元に。

 この手の話題で、「日本は日本、海外は海外!」 とか言っている人たちの語る「日本」は、そーやって、江戸以前の日本の文化風俗を「野蛮で劣っている」と見なして、「頑張って日本らしさを捨てて、西欧らしくなろう」 とした果ての果てに成り立っている。
 その事実に何の矛盾も感じないで、「日本は日本(ドヤ」 って、俄似非国粋主義ぶっているっていうのは、どーかね?


 前回も含めて、僕がこのタトゥー騒動に関してのネット界隈等々のモノイイに対して言っているのは、「タトゥーは是か非か」の話じゃなく、「それを語る土台にすらたどり着いていない人たちの多さ」について、だ。
 それが、前回では、「『みんながダメって言っているから、ダメに決まっている』程度の、ただの長芋のにマカレナでしかない事をドヤ顔で述べる有様が、『原発安全神話』を無条件に信じていた頃と全く変わっていない」ということ。
 そして今回は、「『日本は日本、海外のタトゥー事情なんか関係ない』 と言うけれど、単に『自分の好き嫌い』『自分が既に馴染んでいるか否か』でしか話していない」 という点。

 どちらも、是非を論じる土俵にすら登れていない。


 さて。
 僕が何故、この話題についてエントリーを書いているのか。
 しかも、二回も。

 僕は表現規制に反対する立場だ。
 そして、オタクだ。
 だから、「自分にとって大切な何かが、他人にとってゴミクズ以下の無価値なモノでしかない事」を知っている。
 そして同様に、「僕にとってどうでも良い無価値なものが、ある誰かにとって大切な宝物であるかもしれない事」 も、知っている。

 僕にとって、タトゥーというものそれ自体は、無価値なものでしかない。
 別にしたいとも思わないし、親類縁者にお勧めする気もない。
 甥っ子や姪っ子が突然度派手なタトゥーを入れると言い出したら、取りあえずは「よし、まず、ちょっと待て」と言うだろう。
 一通りには物を言う。良かれ悪しかれ、リスクがあるという話もする。
 けど。
 それが、彼(彼女)にとって大切なのだと言うのであれば、それ以上口出しする事じゃあない。

 僕が最も嫌うのは、「自分にとって気に入らないモノ、自分にとって無価値なモノは、全て多数派の力でもって"ダメなもの箱"に押し込んで、蹴り飛ばして排除して構わない」 という社会であり、その上で良識だ常識だのにあぐらを掻き、多数派ぶってふんぞり返っている輩だ。
 そうして居直っていられれば、物事の背景や構造なんか、何も考えなくてかまやしない、という輩だ。

 そんな訳で、僕ぁそーゆーバカヤロウ共に、微力ながら「KICKK ASS ケツケットバース!」 為に、このファッキンテキストを書いているので、あーる。
 ピザとポテチを喰いながらな!
 


ギャングキング 1巻 (ヤングキングコミックス)

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  • 発売日: 2004/02/12
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 和彫りのジミーくん。
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入れ墨騒動 feat.『3.11以降日本人は目覚めたのだ』と申される、が。 [ヘボ論]

 さて。
 僕らの大好きハーシモートー(ミーツハーシー、の発音で)さんやら、テレビでとある女性タレントが話題にしたりとかで、そこそこ話題の、「入れ墨騒動」。

 僕は恐らくこの件に関しては他の人と違う観点でモノを言っていて、また今回も違うことを言うのだけど、何か前にもこの件について触れたよーな気がするのですが、ちらっと一覧でタイトル観ても、いつぞやのロシア人2人組の名前が挙がっていないので、どうやら書いていなかったらしい。


 で。

 まず、入れ墨の「そもそも論」は、「呪術」なのですよ。
 罪人の証とされるのはその後。しかもそれは「世界各国で」ではない。
 本邦においてを言うならば、中国から入ってきた儒教的な刑罰としての入れ墨観。

 現にマオリ族なんかでは「入れ墨=罪人の証」とされていないので、今でも文化的伝統として入れ墨をしている。

 西欧での「現代」のタトゥー文化は、それら非キリスト教的伝統を敢えて取り入れるという、いわばアンチキリスト的な思想が源流にある、とも言える。
 これは基本的に非キリスト教文化圏である日本人にはなかなか分かりにくい感覚だろう。
(いきなり、ブラックメタルの由来とは北欧における文化復興としてのアンチキリストなのである、なんて話をされても良く分からんしねー)
 勿論アンチキリスト教的価値観というのはやはり、その文化圏におけるメーンカルチャーに対する反発があるので、結果としてギャングコミュニティに集約されやすい。
 マオリ族自体も貧困や差別などの背景から、結局ギャングコミュニティに飲み込まれていったりしている歴史的背景もあるので、この辺りは実に複雑でヤヤコシイ。

 ま、そういう「呪術としての入れ墨」という観点からすれば、某芸能人の方が、「自分の気持ちを整理するためにタトゥーを入れた」というのは、ある種まっとーもまっとーであり、王道も王道。
 正に、原初的呪術としての入れ墨として、正当なのだ。
 "タトゥー"だから軽々しい、んじゃなくて、日本の現代のそれを言うのであれば、そういう現代の西欧におけるタトゥーの文化的背景を考えずにただ形から真似ている、というのであれば、その思考が軽々しい、とは言えるだろうけどもね。

 
 

そして、「本邦において」を論ずるなら、「入れ墨」と「彫り物」が、全く別のものとして文化的発展を遂げていた事には触れないとおかしいのだ。[>>続きを読む]


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『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』&銀幕デヴュー、のはなし。 [シネマ・はすらー]

 どうも。
 先日、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』にて、銀幕デビューをしてきた者です。
 つまり今後はワタクシのことを、映画スター、若しくは俳優として認識なさってくださってもよろしくってよ?
 今後の活動は未定です。サインが欲しい方(ナオンさん)は連絡クダサイ。 

 さて。
 その、『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』を、渋谷クンダリーニまで行ってみてきたのですよ、ワタクシは。
 ああ、面倒くせぇなっ!
 しかしワタクシにとってこの、『SRサイタマノラッパー』シリーズというのは、一言で言えばこれが、「…俺の映画だッ…!」という作品。
 なので、「観ない」という選択肢は、ハナからあり得ないのです。
 いや勿論それは、エキストラとして…あ、いや、俳優として出演している、という意味で、ではありません。

 結論から言えば、「良かったッ!」です。
 そして、又観ます。必ず。

何が良かったか? と言えば、「精神が変わっていない」ところ。 [>> 続きを読む]


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コミックビーム連載中の、『原発幻魔大戦』、の、話。 [マンガマニヤック]

 いましろたかしがコミックビームで、呑気な釣り漫画を描いていたのは、およそ1年とちょっと前の話。
 全くもって見事なほどに、ただのんべんだらりとおっさん2人が釣りに行って蚊に刺されたりなんだりしてわいわいやってる、というだけの、もの凄く脱力する漫画だった。

 しかしそれが一変、突如として「東京で独り暮らしをしているサラリーマン青年の怒り」を描く漫画になる。
 何故? いつから?

 3.11。東日本大震災があり、福島第一原発がメルトダウンを起こしてから、だ。

 この話の中で、主人公の青年はいつも怒り、不安に駆られ、苛立ちを口にしている。
 いや、言い替えよう。
 この漫画は、主人公の苛立ちや不安、怒り以外、何もない。
 ネットで情報を漁り、菅直人に期待をしては裏切られ、TPPの話が起きれば野田政権に怒り、ときには陰謀論を揶揄しつつも口にする。
 「どーなっちゃうんだよ、これ」
 漫画の中で事件は一切起きない。
 何故なら、事件はずっと、現実で起き続けているからだ。

 ネット等々で、この作品への批判的な意見は多い。
 ただこの漫画を不快に感じるとしたら、まさにあの中で書かれている姿が、今の日本人の「普通」であり、「日常」の姿だからだろう。
 とにかく不安だし、この先どーなるか分からない。
 情報だけは飛び交うが、かといって何一つ確証も持てずに、右往左往してただ踊らされるしかない。
 
  正しい情報を伝えるのは報道の仕事だし、津波被害の多かった被災地や原発事故の起きたフクシマについての記録は色々と残され、何れアーカイブ化も検証もされるはずだろう。
 そしてそれらを「余所から訪れる」話や漫画も描かれているし語られている。
 被災地ではこんな苦労がある。こんな酷いことが起きている。
 そういう話は、多くの場所で語られている。
 ただ、この漫画はそうじゃない。
 「津波被災地」や「原発事故被災地」ではない場所で、「3.11以降」 を生きる「ごく普通の我々の感情や不安、生活」 を、リアルタイム描いている。
 この、『原発幻魔大戦』 で描かれているものの根っこは、何が正しいとか、何が間違えているとか、或いは政治的にどうすべきかという主義主張ではない。
 「3.11以降のどーしようもない日常を生きる、どーしよーも無い我々」そのものだ。

 言い替えれば、それがどこまで意図的かとは別に、この漫画が描いていることは、「3.11」が語られるときに形式的に作られてしまう、「東北3県のみが被災地で、それ以外の“我々”は、“支援”する側だ」 という図式が3.11以降を語る “全てではない”という事実でもある。
 3.11の震災から、そこで起きた原発事故以降を生きている“我々”は、東京にいようと何処にいようと、全員が様々な意味で “当事者” であり、そしてその中を「どーしょーもない不安と、それに対するどーしょーもなさ」 の中を生きている。
 そこにあるやりきれない生身の感情。
 『原発幻魔大戦』 の主人公が、ただ何も出来ずに怒り、焦り、不安に思う姿は、そこで語られる言葉に同意するか共感するかとは別にして、まさに「3.11以降の日常を生きる我々」 の、リアルな姿だ。

 だから、この漫画の中では一切事件は起きない。
 事件は、現実で進行し続けている。

 この描かれ方は、「セシウムさいた」 への批判にも見え隠れする、「フクシマ以外は当事者ではない(だから、当事者じゃない埼玉の人間がそんな言葉を軽々しく使うな)」 という意識、欺瞞への、一つのカウンターでもあると思う。
 
 今、日本で、原発事故の傍観者なんて1人も居ない。
 『原発幻魔大戦』 の中で、ただ無力に焦り怒る主人公同様、全ての日本人が当事者なのだから。


 内容への賛否快不快は人それぞれとしても、そう言う意味でこの作品は、「後世に残すべき漫画」として、リアルタイムに描かれ続けている。

 
 読もう! コミックビーム!
 (今月は、桜玉吉も復帰したよ!)





原発幻魔大戦 (ビームコミックス)

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  • 作者: いましろたかし
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2012/02/25
  • メディア: コミック



月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2012/03/12
  • メディア: 雑誌



月刊コミックビーム 2012年4月号[雑誌]

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2012/03/12
  • メディア: 雑誌



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「事件は漫画の中で起きているんじゃない」 [と条例問題]

 まずはニュース記事から。

教諭、女子高生に睡眠導入剤飲ませわいせつ行為
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110628-OYT1T00933.htm

 それでまあ、そこにちょいと、NHKのニュースで見た情報を補足。

[以下、ニュースよりの補足]

 小平市の50代男性中学校教諭は、ネット上のプロフィールから目星を付けた高校生女子に対して、「7万円でデートして欲しい」とメールを送るが、それが断られると今度は100通以上のメールを執拗に送りつけ、「胸の写真を送ればメールをしない」と脅迫。
 しかし、送られた写真を元に今度は「写真をばらまかれたくなければ会いに来い」と脅迫。
 その結果、ホテルで睡眠導入剤を飲ませ昏睡させてからの性的暴行に及んだとされる。

[以上ニュースよりの補足]


 何が言いたいか、と言いますと、ね。

 現実の、実在児童(未成年)への、「性的暴行、虐待」 は、こういう風に起きている、という事です。
 いい歳こいた大人が、脅迫や嫌がらせを繰り返して起こしている。
 漫画やアニメを見てウヒウヒ言ってるアホンダラ共は、別に何もしちゃあいない。
 漫画やアニメの美少女見てウヒウヒ萌え萌え言ってるだけだ。
 
 なのに、何故か石原慎太郎も警察も役人も、「非実在児童」を守ろうとしている。
 躍起になって、もうそれこそ親の敵かのように、出版社を締め付け、漫画を規制しようとしている。

 「エラい人たち」 は、誰も、実在児童のことなんか守ろうとしちゃいないのだ。
 
 

「何故か?」   [[>> 続きを読む]]


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東日本大地震に関して [イラスト]

201103_HaruShitaraba_Keitai.jpg

 春は必ず来るよ。

Dr.マンハッタンと魔法少女(田中建mix) [ヘボ論]

 江戸川区議、田中けん氏が自ブログで、『魔法少女まどか☆マギカ』 に関して面白い見立てをしていたのがちょいと話題になっていた。


>政治家は既に一般人ではない。一般人とは違うと思うからこそ、
>一般人は、無理難題を政治家にいう。それを政治家は実現しようとする。
>でも、それができるような政治家とは、実は、一番一般人から遠い
>人物でなければ、そんなことできない。
>そして、政治家が一般人から一番遠い存在になったとき、
>政治家は決まって悪いことを行うようになる。


 魔法少女、という、一般人を越えた特殊な能力を手に入れた者が何と向き合い、何を求められるかという事を、政治家という者に置き換えて語っている。

 これは、『ウォッチメン』おけるDr.マンハッタンなどにも通じる、「英雄待望論の愚かさ」でもあるよね。

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映画、『冷たい熱帯魚』 を見た話。 [シネマ・はすらー]

 ふつーに、映画の感想です。

 園子温監督による、実際にあった殺人事件、所謂「埼玉愛犬家殺人」をベースとしたフィクション。
 実際に行われていた、ハードな解体描写等でも話題を呼び、テアトル系列にて上映中。



 の、ま、ふつーの感想です。
 ただし完全ネタバレ含む、です。

 ま。取りあえずネタバレにならない感想として、まず僕の鑑賞中テンション経緯を、単純に星で現していきますと、

 序盤:☆☆
 中盤:☆☆☆
 終盤:☆☆☆☆
 ラスト☆

 という感じ。
 序盤、異物感が強すぎていまいちノれず。
 中盤、事件が起きて以降は、その異物感を押しのける勢いにより引き込まれ始め。
 終盤、逆襲からの展開はかなりのグイグイで進み…。
 ラスト。僕としてはかなりのどっちらけ。「あ~あ…」っていう。
 

 で。
 僕は結構、この手の殺人事件の実録モノに関しては、ちょいちょい見聞する方ではあります。
 まあでも、本として纏められたモノとかをちゃんと読んだのは、せいぜい「綾瀨コンクリ詰め殺人事件」と「宮崎勤事件」くらいで、この「愛犬家殺人事件」についてはほぼノーチェックでした。
 なので鑑賞前の、モデルとなった事件に関する知識は、ほぼゼロと言っても良い程度。
 その点では、事前知識の有無が感想に与えた影響はあるかもしれません。
 しかし、視聴後に軽く、ですが調べてみたところ、確かにかなりベースとしている事件から拾っている要素はあって、事件の経緯や構造自体はほぼ同じですし、また、作品中主人公となっている人物に当たる、死体遺棄の「共犯者」が、出所後に書いた著書、そのものズバリのタイトル、『共犯者』によると、でんでん演ずる殺人犯、村田のキャラクター、なんというか一言で言うと、「よくいるガハハ親父」な雰囲気などは、実際の愛犬家殺人の主犯に近いイメージらしいです。
 んが。
 その、実際の事件との比較でいうと、僕が序盤から感じていた「異物感」は、どうもほとんどが、映画用に盛っていった独自設定や独自演出の部分にある様だな、というのが。
 むしろ、鑑賞後に事件の概要を調べることで、はっきり分かってしまったのですね。
 と、同時に、同様に終盤からのモデルとは異なる独自展開部分の勢いに関しても映画独自の「盛った部分」なので、じゃあその違いは何じゃろか、というあたり。
 ちょろっと書いてみます。

[>>> ネタバレを含む続きを読む]


キックアス! 映画と原作の相違点、のはなし [シネマ・はすらー]

 キックアス! ケツケットバス!
 の、はなし、なんですが。

 まあ、映画としての『キックアス』の感想なり何なりは、多分色んな所で書かれているでしょう。
 なので、「一応先に飜訳原作を読んだ」というところから、「原作と映画版の相違点、そして、それによって何がどう変わったか」という点に絞った話を、ちょろっと書いてみようかと思います。
 ただし当然、「原作に関するネタバレ」も含みます。
 まあ勿論「映画に関するネタバレ」にもなるのですが、今回は基本として、「映画見たー! でも原作読んでナーイ」 or 「原作も映画も読んだし見たー」人向けの記事ですので、「これから映画を観ようと思うので、なるべくネタバレはして欲しくない」という人は、まず、読まないこと。映画に関しては完璧にネタバレします。
 そして「これから原作を読みたいので…」 という人は、「慎重に」読み進んでください。
 原作に関しても、そこそこネタバレします。

[続きを読む]>>>


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選挙の前 [と条例問題]

 先日~。
 というかまあ土曜日に、病院行って駅前の本屋寄って…の流れで、選挙のビラ配りをしている人を見ましてですね。
 ちょっと試しに色々話を聞いてみようと思い二三訪ねてみました。

 んで。
 まあ基本は表現規制に関して各党でどういう動きなのか、という事をざっくりで聴いた上での流れなんですが、曰く、
「永田町での議論としては、それらの問題は優先順位が低い」
 という事なのだとか。
 まあそらそうでしょう。
 この辺り、もの凄くざっくりかつ、僕としての纏め直しで書きますが、

・とにかく、緊急のこととして最優先なのは経済対策、というのが党派を超えたほとんどの議員の感覚。
・ネット等で話題になる、外国人地方参政権、児童ポルノ法案改訂、夫婦別姓問題、人権擁護法案等々は、まず優先順位としては低い。
・又同時に、それらは党としての統一見解が出せるところまで議論が進んでいない。民主でも自民でも、それ以外の党でも、個々の議員の考えは千差万別。○○党だから規制反対、□□党だから規制推進、ということはない。
・だから、上記法案などに関して、「○○党が勝てば、××が通る!」 という事はほとんどあり得ない。はっきり言えば、「そんなにヒマじゃない」
・同時に、「○○党の◆◆が××の首謀者だ!」 的な陰謀論で語れるほどに単純ではない、デリケートな問題でもある。
・現時点で、経済対策を含めて超党派でやらなければならない事が多くある。しかし民主は与党慣れしていないし、自民は野党慣れしていない。据わりの悪さを抱えつつ議論をしているので、どうしても進みにくい事が多い。
・党議拘束がキツイのは、自民に限ったことではなく、民主も同じ。というより、日本の政党の体制自体が、党議拘束が強い傾向がある。


 等々と言うところ。
 ま、僕の勝手な推測ですが、臨時のボランティアなどではなく、多分結構永田町できっちり働いている人だったらしく(最初に聴いてみた人が、「自分では分からないので…」と言って案内してくれた)、色々と、「中の人としての目線」を話してくれた。
 

 前回のエントリでも少し触れたけども、こう、選挙前と言うこともあって、「自称愛国者の愛国保守を任ずる人の言説」 等がネットでも飛び交っていて、ただそれが正直、「…いやいやいや、そんな幼稚なロジックは無いわ」 的なものばかりで、なんともお哀しい気持ちになったりするわけですが。
 まさに、そういう人たちのアジテーションというのが、
「○○党の◆◆が××の首謀者だ!」、「○○党が勝てば、××が通る!」(そして日本が滅びる!!)
 的陰謀論だったりするわけです。

 他にも、「都議会で民主が表現規制に反対したのは、エロゲやエロアニメの収益ががブラックマネーになっていて、それらが民主の資金源にもなっているからだ」
 みたいな、ムーが「アラスカで雪男を発見!」 なんて記事載せるよりもなんだかなあな事まで言い出す始末。
 ジョークとしたら面白くないし、本気だとしたら相当ヤバイ。
 
 前回も書きましたけど、

「君ら、もっとちゃんとしようよ!」

 と言わざるを得ない。
 どんな政策を支持するかとか、何党の誰に入れるか以前の、もっと根本的なところで、「ちゃんとしようよ!」 と。
 

 閑話休題。
 てなところでまあ、選挙当日に書くのも何ですが、上記のことを踏まえた、「表現規制問題につての今後」的僕の雑感。

 まず、現時点(から数年)の、「表現規制問題」の主戦場は、やはり国政ではなく地方自治体、まずは東京都と大阪であろう、と。
 国政レベルでは何より国の経済を立て直すという大仕事があるわけで、「漫画表現を規制しろとかしないとか、そんな事は二の次」というのが当たり前の現状なワケです。
 で、「国の経済」という枠では何もやることもなければやる気もなく、それでいて自治体としてもそんなに経済的な緊急事態がないところ、あたりに、「暇をもてあました無責任な連中」がわらわらと群れて、「なんかー、ちょ、ひまだしー、ちょ、利権作りのためとかー、なんかーそーゆーんでー、漫画とか取り締まったりする系?」
なんぞとやらかしだすわけです。
 これは中国の故事成語的に言うところの、「小人閑居して不善を為す」的なことでしょうか。
 違いますか。そうですか。ならいいです今の部分は。

 まあ勿論都議会もそうですし、地方自治、行政の現場にも、「ちゃんとした人」は居るわけです。
 いなきゃとっくのとうにと条例改定案は通ってしまっています。
 いますが、そうでない人も多い。多すぎる。何より、議員よりも、やはり役人の方、役所の方の問題というのもあるわけです。
 議員からの情報開示を、ゴネて誤魔化して引き延ば下挙げ句、出てきたものはほとんど真っ黒に塗りつぶされている、とか、そーゆー事がヘー面で起きるわけですし。

 それら含めてまあ第一に都道府県レベルでの 「気がつけば無茶苦茶な事やらかしている」 的状況が起きないように、監視を続けるというのは必要になるでしょう、と。

 
 それと選挙においては、「何より、政党より人をちゃんと見る」 というのが重要になってくる。
 結局、頭語との統一見解などが出来てすら居ない現状であり、また、自民党がずっと与党であり続けていた頃とは違い、自民だろうと民主だろうと、その時期の情勢によって、与党にも野党にも成りうる。
 そうなると、「ただ野次飛ばして議事妨害してりゃいい」なんて事も、「日頃は居眠り続けて、後は強行採決の時だけ大暴れしてればいい」なんて事はもはやあり得ない。
 そんな意識レベルの人間が居る余地は無いし(本当はもともとそんな余地なんかあっちゃいけないんだけど)、そういう人間をどんどん淘汰するように考えて行かなきゃならない。
 支持政党だからって、そんな人間に票を入れちゃいけないし、もっとちゃんと、その人個人の考えている政策、政治理念を見て、選ぶ必要が出てくる。

 その“人”が、どんな政治理念を持っているか。何をしようとしているか。何をしてきたか。

 一部の人にとって悩ましく、そうでない人にとって喜ばしいことに、ネットというツールの出現は、そういう情報に対しての距離が、格段に縮まっている。
 それらの情報をきちんと精査できるかどうか(リテラシーがあるかどうか)という問題はあるとしても、少なくとも、ネットを通じて情報を得ようとする努力に、リターンがある。
 また逆に、それが分かっている人は、より積極的に自分の政治理念、信条などを、ネットを利用してアピールしたりもする。
 「ちゃんと」 向き合うことが、遙かに容易になっているのだ。

 同時に又、上で書いたように、「多くの議員にとって、最優先事項は経済問題であり、表現規制などは二の次だ」というのは、それ自体喜ばしい事とは言い切れない。
 他の議員の多くが「あまり問題意識を持っていない」という事は、そこに隙があると言うことでもある。
 その隙を、「頑なな規制派」であったり、「特定団体との関係が濃い人」であったり、「新たな利権構造を生み出したい人」であったりが、突く、というのは、それはそれで起こりうることだからだ。
 先頃の都条例改訂の動きが、まさにそうだったわけだ。
 多くの議員の隙を突いて、密質的な会議で改定案を造りこっそりと遠そうとする。
 そう言うことに動きかねない個人も、監視していった方が良い。
(民主主義においては、常に暴走する可能性のある権力構造それ自体を、監視することも重要なのだから)
 そして、それらに対してきちんと反対する、反論できうる人物を選んで、投票する、というのも必要になる。

 しょーもない妄想やデマをネットで流すより、もっと建設的に「ちゃんと見て、ちゃんと選ぶ」事が、重要という。
 …まあ、考えてみれば「ごく当たり前」の、議会制民主主義の原点の立ち位置で。
 考えていく必要が。
 アルノデハナカローウカ。

 という事を書いて。
 ねむいのでねます。

[おまけを読む]


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