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インシャアラー (アッラーの思し召しのままに) [余談・雑談]

 
 よく考えたら、なんですが、僕はキリスト教よりイスラム教についての方が詳しかったので、イスラムについて少し書いてみます。
 というか、イスラム教にしろキリスト教にしろ、成り立ちを知るっていうのは結構重要。
 成り立ちを知ると、つまるとこ先に述べたったりした、「宗教の方便としての意味」 が、凄く分かり易くなるからです。
 
 まぁざっくりいきます。

 イスラム教の開祖は、モハメド・アリと同じ名前の、ムハンマド(アラブ読みに近い発音)でございます。英語読みだとマホメット。
 7世紀前半に成立しております。

 彼は商人でした。
 しかも40代とかになって、突然宗教に目覚めた。
 遅咲きですわね。

 当時のアラビア半島はと言いますと、北でビザンチン帝国が東アジアとヨーロッパの交易路を塞ぐカタチで成立し、何かと不穏な情勢でした。
 そのため、交易路は南に迂回してアラビア半島へと移り、それまでは過酷な砂漠で、部族単位の遊牧生活をしていたアラビア人達が、次第に商業化された都市に集まって交易商として生活をするようになり始めます。
 まぁ、そういう文化的、文明的な過渡期にあったわけです。

 商業が盛んになると言うのは、富が集まり、人が集まり、発展すると同時に、貧富の差が生まれ、多くの人間が集まって揉め事を起こしやすくなり、さらには集まった富を外的にも狙われやすくなる。
 しかし部族単位での争いが絶えないアラブ社会のままでは、それらの問題に対処するのが難しい。
 より大きな社会には、より大きな “方便” が必要になる。
 そこで、イスラム教が生まれたわけです。
 
 ぶっちゃけて言いますと、イスラム教はキリスト教のアラブ社会向けバージョンです。
 まぁ勿論キリスト教もユダヤ教の焼き直しですから、そういう意味ではアラブ的ないいとこどりでもあります。

 大きな特徴としてあげられるのは、まず、「血の復讐の禁止」 です。
 当時のアラブ部族社会では、部族の誰かが傷つけられたり殺されたりしたら、相手部族に 「血の復讐」 をする、という考え方が一般的でした。
 よーは、「やられたらやり返せ」 って事ですね。
 これは過酷な砂漠を遊牧生活しているときには、「過ちには当然の報いが下される」 というシステムによって、事前にそこに至らぬようにする抑止力としての方便として成り立っていました。
 ただ、都市化が進む中でこれはまずい。
 都市に多くの部族の出身者が集まり出したときに、やたらと復讐ばかりが横行することになる。
 簡単に言えば、人口密度が低いときには揉め事自体が少ないため、この抑止力は有用だったのですが、人口密度が上がった都市部では、逆に秩序を乱すようになったわけです。
 
 40代で一念発起してイスラム教の教祖となったムハンマドは、「わしこないだ洞窟で、唯一神アッラーの使いガブリールから預言もらったけんね」 と言ってこれらの教えを広めようとします。
 しかしメッカでは有力大商人達から異端として迫害され、結局メディナまで逃亡するハメに。
 そのメディナでは逆に、血の復讐と部族間の揉め事の多さに、有力者達が困っておりました。
 そこにやってきた男おいどんことムハンマドの教えは、「うっそマジそれヤベー、すげー良い教えじゃん。つうかおれらマジそれ困ってたンだよねー。ちょー採用って感じ?」 ってな具合に受け入れられ、信者を増やし、勢力を拡大してゆきます。

 つまり、都市化によって起こった新たな問題に対しての、新しい解決策を提示していった、という事です。

 又他にも、「喜捨」や、「寡婦の保護」 等が、イスラムの教えの特徴としてあげられます。

 喜捨、っていうのは、簡単に言えば、「金持ちは貧乏人に施しをするべきやけんね。そうすっと、死んだ後にアッラーの天国に連れてってもらえるけんね。おいどんウソつかんばい」 っつー事です。
 遊牧生活から、商業主体の生活に映ると、必ず貧富の差が拡大するわけです。
 その貧富の差、そこから生まれる格差などをこの方便により是正し、社会を円滑にさせる事が出来る。
 また同時にこれは、過酷な砂漠という環境にいたアラブ社会の伝統とも相容れる考えで、やはり広く受け入れられました。
 金を得た者にとっては、金を得ることによって生まれる不安を減らし、貧しい物には生活の助けとなる。

 寡婦の保護、というのは、部族間の争いなどが絶えず、環境も過酷なアラブ社会では多く存在した未亡人を、「金持っているヤツは、そういう女の人を4人までめとって助けてやるばいね」 っつー事です。
 よく、イスラムの一夫多妻制というのが話題になる際、実情を良く知らぬ人達が、「4人も奥さん貰えるなんてハーレムやね」 的に言いますが、アラブ社会で結婚という物は実に厳しい物です。
 アラブでは日本で言う結納金というものに当たるものが、べらぼうに高い。
 結婚するときに、女の人の仮定に対して相当な金額を払わなければならない。
 これは 「売買婚」 等という言い方もされるシステムで、ままウーマンでリブな方から、「女性を物として扱う男根主義的云々」 と批判されたりもしますが、まー、金のないヤツのとこに嫁いでも愛があればなんてノンキな事言えるほどに豊かな社会ではありませんから、仕方のないことなのです。
 寧ろ、貧乏な男は生涯童貞、という意味で、男にとって厳しい。
 僕なんかもうアラブ社会で無くて良かった、ってなモンです。
 (いや現状もあんま変わらないかー…)
 何れにせよ、イスラムにおける一夫多妻は、女性の生活を助ける、というのが根底にある発想なのです。
 
 まぁ他にも、偶像崇拝の禁止、占いの禁止など、色々な教えがありましたが、それらは遊牧中心の部族社会から、商業を主体とした都市社会へと発展する過程に置いて、有用な方便として機能される教えだったと言えます。

 メディナに逃れたムハンマドは、信者を増やして勢力を拡大し、軍勢を率いてメッカへと凱旋をします。
 メッカの支配者となったムハンマドとその跡を継いだカリフ達は、その後アラブ社会全土へと勢力を拡大し、初のイスラム王朝、ウマイヤ朝を成立させます。
 まーこのウマイヤ朝が、ムハンマドの死後に、ムハンマドの従兄のアリーと権力争いをして勝ち上がったムアーウィアとその子孫による世襲支配というあたりが、なかなか皮肉な話です。

 ムハンマドの素晴らしい点は、合理主義と平等主義の徹底にあります。
 商人だった彼は、教義という “約束” の中に、実に巧みに、当時の社会情勢の不安や格差を解消する方便を盛り込んでいます。
 喜捨、寡婦の保護、等に見られる弱者救済の視点も良い。
 理想と現実の折り合いの付け所が、巧かった。
 そういう意味では、ムハンマドは政治家としての素養の強い人物だったのではないかとも言えます。
 カリフ、つまり教主に関しても、世襲を禁止し、必ず合議で選出する、という考えだったのですが、まぁこれはウマイヤ家によってソッコー破られました。
 そのあたりが、現在も言われるスンニ派とシーア派の対立に繋がってゆきます。
 

 ちょいとまとまり無く、ざっくりとイスラム教のあらましを書きましたが。
 このあたりのお話は、「宗教というのは、そもそも政治的なものである」 という事が、実に分かり易い。
 イスラム教の成立自体が、社会の変遷に合わせた政治的なものですし、同時にウマイヤ朝成立のように、権力の独占を考える人間によって宗教が政治的に利用されるという事もよく分かる。
 それと、所謂原理主義の問題点というのが、教えの意義や背景にある思想を無視してしまうところにあるということも。

 んま、とりあえずそんな余談。
 あとイスラム教成立のエピソードは、アリーとかキャラ立っていて面白いのでお奨めです。


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コメント 1

あとイ

最近の記事かと思ったら10年前か
今頃黒歴史になってそうだな
by あとイ (2015-05-04 08:06) 

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