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現代呪術作法 (誰が『電車男』に呪いをかけたかRemix) [ヘボ論]

  
 中野の古本屋曰く。
 「呪いとは、それを呪として受け取ることで、呪いになる」

 たとえばそれはどういう事かというと。
 呪いのわら人形に、自分の名前が書かれていたのを見たとします。
 人型を使う呪術というモノは、それ自体は結構色んな地方やお国にあるのですが、まぁこの、「呪いのわら人形」 というヤツは、特に日本ではポピュラーな呪いの一つとして有名。
 僕は日本人なので、呪いのわら人形を知っています。
 だから、僕に向けて放たれたわら人形の呪いの存在を知れば、僕は、「自分が呪われた」 事を 「理解」 出来る。少なくとも、誰かが呪おうとしていることは。
 だから、ここに呪う側と呪われる側の合意が成り立ち、呪いという作法が成立する。
 仮に、僕が何らかの事情で、子供の頃からアチャペナマキア共和国に移住していて、つい昨日日本に帰ってきたとします。全然日本の風習も言葉も分からない。当然呪いのわら人形なんてものも知らない。
 その場合、僕が僕に向けて放たれた呪いのわら人形を見たとしても。
 知識がないために、それを「呪いだ」と解釈できない。
 よって、術者と僕の間に合意は得られず、呪いは成立しない。
 この場合もし、術者が僕に効果的な呪いをかけようとしたかったのであれば、アチャペナマキア共和国の文化圏で伝わる呪いの作法を使い、呪うべきなわけです。
 そうすれば、僕も自分が呪われていることを理解し、作法として成立する。

 とはいえ。
 まぁイワユル現代人の多くは、わら人形の呪いなンてものは信じていません。
 僕も当然、そこに霊力だとかなんだとかが働いて、僕に呪いがかかる、なんて事は信じては居ない。そこまでして僕を呪いたいと思っている人間が居る、憎まれている、という認識は、それはそれで凹むかもしれませんが、とりあえず呪いのわら人形では、それ以上の効果はあまり無いでしょう。

 時代的に、もはやわら人形では呪いの作法としての普遍性は持ちにくい。

 中野の古本屋曰く、
 「呪いとは、その地域、社会、文化、時代に合わせた作法、様式で行わなければ、効果は得られない」
 
 今の時代においては、別の作法がより効果的である、と。

 さて。
 時代の感覚をビビッドに感じ取るレーダーセンス軍閥な僕ちゃんが、ここ数日突然 『電車男』 流れで、思いつきのオタク論っぽい事をかましておりましたその一つのまとめ的記事なのですが。

 「おたくがおたくである事の、唯一にしてもっともど真ん中な理由とは、“良い年ぶっこいたらもうやんないべ、それ” 的な遊びや趣味に、全速力で夢中になるアホである、というところにある」
 「本来的には、おたくというものは呪いでも何でもない。しかし、それを呪いであると考える人たちは多く存在するし、呪い自体は既にかけられている」
 「最初に、おたくにかかった呪いは、ザキ・ツトムちゃんの、“子供殺して食べちゃった事件” に端を発している」

 まぁだいたいそんな話を散発的にしておったワケですよ。

 ザキ・トムちゃんによりかけられた呪いというのは、ものすごく簡単に言えば、「オタクというのは皆、快楽殺人者なんだ」 という呪いです。

 ザキ・トム君がえらいことやらかしちゃったときに、まぁいつもの如くの魔女狩り騒動が起きたわけです。さぁ何が原因だ。この事件の背景にあるのは何だ。何がこの異常者を生み出したんだ。「自分は関係ない。だから自分以外の誰かが悪いに決まっている」
 ちょうど良い落としどころに、「おたく」 と呼ばれる珍奇な連中が居て、ちょうど良いことにザキ・トム君はそういう連中のお仲間だったらしい。
 そうか、「魔女は、おたくだ」
 とりあえず色んな人間が色々と手を尽くして、「おたく」 に、「呪いをかけた」

 中野の古本屋曰く、
 「呪いには、対象者の精神、行動、意識に作用し、それらを規制する効果がある」

 個人的な事を言いますと、僕はこのザキ・ツトムの呪いにはほぼ全く影響を受けていません。
 当時の僕は、なかなかショッキングな事件だとは思いましたし、実のところえらい近所で起きた事件だったのですが、はっきり言って完全に “他人事” でした。
 まぁ、そりゃあ当然、他人事なんですけどもね。 

 ただ、その呪いにかかった人たちは、やはり多かった。のでしょう。まぁね。
 直接的、間接的に。
 
 この呪いで、「ああ、そうか。自分は社会にとって害悪でしかない、快楽殺人者的な素養を持った人間なんだ」 という意識に行き着いてしまった人もいるだろうし。
 「いや、そんな事は無い」 と思いつつも、「けれども世間の人間は、自分の事を犯罪者予備軍としか思っていない」 と思い詰め、世の中に対して鬱屈した感情をため込んでしまう人もいただろうし。
 そういう自己否定の感情が、社会と隔絶しようと言う行動に向かったり、或いは逆に社会に対する攻撃的な意識に向かったりという事も、勿論あったでしょう。
 そういう鬱屈した意識が、結果として犯罪に向かってしまったら。
 そこで、呪いが一つ成就するわけです。
 「おまえは異常者で、犯罪を犯す人間だ」 という呪いをかけられた結果、犯罪を犯してしまうのですから。

 現代のように、マスメディアの発達した社会では、わら人形のようなモノよりも、特定イメージを素早く幅広くに喧伝するという作法の呪いの方が、効果的です。

 別の例で言うと、「五島勉の大予言」 という呪いがあります。
 これは、えらい昔の天文学者がへんてこりんな詩を残していて面白いネーという話をとっかかりにし、日本中に 「2000年になったら地球が滅亡する」 という、終末思想の呪いをかけた。
 この呪いの効果はかなり絶大で、恐らくは今でも効果を発揮し続けている。
 何せ、10代もそこそこの子供の頃から、「何やったところで、お前らじじいになる前に滅亡するから、無駄だよ」 と、思いこまされていたのだから。
 意識の奥に終末思想を刷り込まれ、それがもう目の前だと感じている人間が、さてどういう行動、意識、感情の支配を受けるか。
 一番効果的にそれが爆発したのは、オウム事件でしょう、と。

 うーん、オウムかよ。今更オウムかよ。
 相原コージの慢歌で話題に出ていたから、ちょっと思い出してしまった。

 「終末が来るぞ、お前ら死ぬぞ!」 って呪いをかけられて、「本当に終末を起こそうとしてしまった」 のだから、この呪いは大成功です。
 
 まぁ、つまり、呪いっていうのは、そういうもんです、と。
 言葉に意味を持たせ、その意味により対象の行動や感情をコントロールしてしまう事。
 「○○しないと、地獄に堕ちるわよ!」 などと言って、相手を支配するというのも、勿論立派な呪いです。
 そうやって、意識的、計画的に作法を取り仕切って呪術を行い、目的を全うさせることが出来る人間が、まぁプロ呪術者なのですが。
 無計画に結構強力な呪いをばらまいてしまう人も多いので大変です、と。

 呪いをかけられた場合の一番の対処法は。
 その呪いには何の効果も意味もない、と。
 きっちり認識することですけど。
 それはまぁ、意外と難しいンですけどもね。

 マスメディアを通じてかけられた呪いは、その性質から自己増殖をして行くからです。
 リングの貞子の呪いのように、疫病の如く広がり、沈静化したと思っても又どこかで呪いにかかっただれかが、新しく呪いをかけ始める。
 マスメディアの絵上には、定期的に、或いは何かイベントが起こるたびに、「ゲーム脳」 だとか、「フィギュア萌え族」 だとかの、新しい様式に置き換えた呪いをかけようとする呪術者が現れる。
 そしてまた、呪いの影響を強く受けてしまった人間が、新しく呪いを再編成する。
 「我々オタクは、幼女の首を絞め続けるしかないのだ」
 という様な言葉で。

 ま、一つ前の記事で書いたアレなんですけど。
 これは、ザキ・トムの呪いにかかってしまったがために、その呪いを分析しようとしているウチに、自分自身が呪いの伝搬者になってしまったパターンなんじゃないかなぁと。
 そう思ったのですよ。
 
 「何を意図してこんなおたく論を語っているのか」
 というのが、最初にこの引用を読んだときの疑問の一つだったのですが。
 呪いの伝搬者になってしまっている、と考えると、ワカリヤスイかなーと。

 例えば、若くて、まだものをよく知らないウチから、「おまえは異常者の犯罪者だ」 という呪いを聞かせ続けられてきたおたくに向けて、新たに 「我々おたくは、幼女の首を…」 なんて事を言うことに、どーんな意味や異議があるんだろうかなぁと考えると。
 やっぱ、何も無いでしょう。
 かけられた呪いを解こうとするなら分かるけれど、呪いに追い打ちかけてどうすんだろうと。
 僕なんかはそう思ってしまう。

 僕はザキ・トムの呪いや、大予言の呪いにはあンまかかっていないけれど、別の呪いはそれはそれで色々受けているので、やっぱそれはそれでニンともカンともですよ。

 んでまぁ、誰が 『電車男』 に呪いをかけたのかなんて、僕は知りません!
 勝手に考えてください!
 (え~~~~~!?)

 うーん、憑き物落としが必要だわ…。

 

文庫版 姑獲鳥の夏

文庫版 姑獲鳥の夏

 とりあえず第一作をリンク。


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バグ代官

 僕も呪いには「合意」「作法」もしくは「約束」が必要だと考えています。
 他方、大塚英志が宮崎勤に呪われているというのも、まったく同意見です。「呪い」というか「呪縛」というか。
 大塚は、宮崎勤に時間を膨大な時間と集中力を費やしてきました。結果、宮崎勤が大塚のアイデンティティの一部として定着した感があります。
 先の大塚の「エヴァンゲリオン論」においても、大塚のアイデンティティの一部である宮崎勤的なものが、(あの大ヒット作!)エヴァンゲリオンにおいて表現されたということの感動を伝えたかったのではないでしょうか。
 個人的な大発見と、おたく論を混同しているように思えます。
 そもそも宮崎勤などという、おたくとしては特異点ともいえる存在をもって、一般的なおたくを語ろうという手法が、すでにイヤらしいと思うのです。
 僕は、大塚英志という人間のおたく論はけっこう刺激的なものが多いと思いますが(岡田斗司夫よりもです)、宮崎勤に関しては執着しすぎだと思います。執着するのはかまいませんが、おたくのサンプルとして使用するにはちと強烈なのではないかと。
by バグ代官 (2005-06-23 12:18) 

へぼや

 フォアンフォアンフォアン。
 『リング』 の構図が、意外とこういう事の暗喩みたいになっているんだなー、という事も思ったとですよ。って、今更 『リング』 かよ! ですが。
 『リング』 の中では、自分にかかった呪いを解くためには、別の誰かに呪いを伝搬させなければならない。まぁ不幸の手紙と同じですわね。
 自分にかけられた呪いを解こうとして、新しく別の誰かに呪いを振りまいてしまう図式。
 例えば多分、『負け犬の遠吠え』 で、未婚女性を救済しようとして、“おたく男” の様な別の相手に呪いの言葉を吐き、逆におたく男の救済を目的としている 『電波男』 の中で、そういう “負け犬女” や何かに呪いの言葉を吐く、みたいなヤツですな。
 まぁ勿論当然のこととして、僕はどっちの本も読んでいませんよ!
 大塚英志の本だって読んでいない!
 ナントナクだけでモノを語る。
by へぼや (2005-06-23 15:07) 

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