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ジェネジャン性懲りもなく心霊SP [ペトログ・ストーキン]

 人がゲームやってて一段落的にエロ動画でも見ようかと思っているときにふとテレビさん見たらジェネジャンスペシャルやってんじゃん!
 全くなんて迷惑な!
 しかもまー性懲りもなくというか相も変わらずスピリチュアル大激論とか言ってくさるしさ!
 まぁ前回も何か書くかなぁ、どうすっかなぁ、とか思いつつ面倒くさいので結局何も書かなかったのですが、僕は本当、テレビとかでやる心霊検証とかいうネタは、どーしょもねぇなぁ、と思っています。
 ばーかばーか、ぺとろばーか!
 
 まぁ一応アレなので、僕的なこのテのアレに対するスタンスみたいなものをだらっと書きますです。
 番組も見ないでなっ!

 あのね僕はね。(マギー司郎の発音で)
 霊が物理的な意味合いで居るか居ないかとか、オーラや前世があるか無いかなんてのは、「どうでも良い」 と思っています。
 これは、「科学的にアリもしないからどうでも良い」 のではなく、それらの概念を科学的に検証しよう、検証して真実を知らしめよう、という様な事が、「全く意味が無く、どうでも良い」 と思っているという事です。
 霊なんて全部嘘なんだから、それを物質として実在するかなんて検証する意味は無いんです。あるとしたら、単純な科学的好奇心とかそういうものとしてでしか無く (そういう意味で、科学者が検証するのは構わないし、そこに科学的な意義はあるとは思いますが)、社会的な意味なんてのは無いンです。
 霊、霊能、だなんていうのは、文化なんですよ。
 そして人間の文化なんてのはすべて嘘なんですよ。実在なんかしません。
 文化というのは、概念としてしか存在しないのですから。
 だから、霊だとか霊能者だとかというのは、文化的観点で語ることであって、科学だ物理学だとかというもので語る事ではないんです。
 科学者が、心霊の存在を否定するという恣意的な動機でもって、文化でしかない心霊の実在を云々しようなんてのは、愚の骨頂です。
 いいんですよ、そんなのは。どうだって。
 そんなのは、「愛の実在を科学的に証明しろ」 だとか、「感動の実在を科学的に証明しろ」 だとか、「わび数奇を科学的に検証しろ」 だとかいう事と同じなんです。
 愛だの恋いだのを科学という曖昧さを許さない尺度で検証したら、脳内麻薬の過剰分泌であったり、種の保存に根ざした本能の顕れだとか、吊り橋効果がどうのこうのだとか、ちょっとした豆知識的にしか面白くないお話にしかならない。まぁ豆知識的には面白いんですが、それで 「だから愛など存在しない」 なんてのは、おばかてぃやんな物言いでしょう。
 愛という現象がただの脳内麻薬物質の過剰分泌でしかないという事実と、愛という概念における文化的な価値や、ここの人間関係における有用性は、どちらかが正しくどちらかが間違っている、という風に取捨選択する様な事ではない。
 それはそれ、これはこれ、ですよ。
 同様に、そういう事を軸にして、心霊だとかなんだとかというものを否定し、心霊という文化には何ら価値も意味もないという事を真実だと喧伝するなんてのは、全く科学的な姿勢じゃあない。
 それは、単に世の中のいろんな物事を、「科学的」と言う曖昧な概念で染め上げようという、ただの科学教の布教活動でしかないにょですよ。

 …なんかてきとうに書いていたら一気に書くこと終わっちゃった感じだなぁ。
 いや、良いんですけどもね。それで。
 
 まぁ、このテの番組は、基本、「科学vs.心霊」 って形に演出するでしょう。
 それが本当に意味がない。イミガナーイ。キレテナーイ。(うわ、最新ギャグ)
 「辛党vs.甘党」 とかと同じレベルじゃあねぇですか。(もちろん今、『ナイナイサイズ』 を見てますよ?)
 
 上で書いた通り、心霊と科学ってのは、扱う分野が全く違うんです。
 同じ味覚、味の嗜好という分野で、甘いのが好きか辛いのが好きか、なんてのと同じ扱いではいけません。明治の人間じゃああるまいし、ですよ。
 (辛さというのは厳密には味覚ではなく痛覚であるとか、そういうつっこみは却下です!)
 文化とは何か、なわけですよ。
 おっと、突然大上段に入ったねぇ。
 文化というのは、“意味づけ” です。
 現象、事実に対して、「どういう意味をつけるのか」。
 それが、人の文化というものです。

 科学は、意味づけをしません。というか、してはいけません。
 科学を意味づけ目的に使おうとする事を、疑似科学、インチキ科学といいます。
 ちょっと前に 「ゲーム脳」 というのをはやらせようとしたインチキ科学者が居ましたね。
 あれはまさにわかりやすいインチキ科学です。
 「ゲームをしている最中にはかった脳波が、α波の多いもものとなっている」 という現象に対して、強引に 「α波が多いのは痴呆状態と同じであり、ゲームをすると痴呆になる」 という「意味づけ」 をしたものなワケです。
 実際には、α波はリラックス状態にある時に多く見られる波形で、α波が出る事が痴呆状態の証明にはなりませんし、ましてやゲームをする、という行為との因果関係は何等検証されていません。
 本当の意味での科学的思考というのは、「あるものはある、ないものはない、分からないものは分からない」という、ただ当たり前の事実を当たり前のこととして前提にすることであって、何ら恣意的なものの挟まる余地はないのです。
 だから、科学で文化を語ることは無理なのです。

 文化というのは、そこにあるものに意味を与え、実在しないものを存在させることです。
 だからすべて嘘であり、すべて方便なのです。
 実在しない神や、起こっていない創世記を語るのも文化ですし、ただの土塊を焼いただけのモノに骨董品というカテゴライズをして1000万円だのの値を付けるのも文化です。愛を語り詩を詠うのも文化で、死後の世界や前世の業を論ずるのも、人の行いに善悪や正否を問うのも、占星術や四柱推命によって人の生まれ持った素養や未来の禍福を見るのも文化です。
 それらが科学的に起こっていないとか実在していないとか、あるいは意味がないとかあるだとか、そんな事はハナからどうでも良いのです。
 あろうが無かろうが、そこに意味を与えて、その意味によって満足を得たり、生きることの糧としたりするのが文化です。
 
 だから。
 心霊やらスピリチュアルやらを語るときは、文化的な観点で語らねばなりません。
 もし、霊能者や占い師を称する個人の行いや語りの中に過ちがあると感じるならば、きちんと文化的に検証して、文化的に批判しなければならない。
 それが出来ない無知蒙昧の能なしは黙ってなさいって事ですよっ! ぶっちゃければっ!
 だから僕は黙ります! (えーっ!?)

 前回の番組の中で、一つだけ印象に残っている場面があってですね。
 誰だったかが、依頼者の前世を語る事について、ある人に対して 「前線が動物だとかゴキブリだとか、そんな事を言ってはいけない」 という主張をしていたのですよ。
 「我々は言葉で人を殺しうる仕事をして居るんです。悩んでいる依頼者に、前世がゴキブリだなんて告げて、その人が救われると思うんですか?」 と言っていて。
 これは、僕は正しい批判だなぁと思いました。
 目的と、手段なんですよ。
 依頼者を救う、という目的があって、その手段に占いだとか心霊だとかがある。
 重要なのは、それが正しく目的に対して機能しているかどうかであり、問うべきは霊やオーラの自在なんかではなく、それによってきちんと依頼者を救えているかどうかなんです。
 依頼者をきちんと救えているなら、それで何の問題もない。
 救えていないときに、いかに救えていないかを批判するべきであって、それは、目的に対して結果が間違っているという事の批判であるべきなんです。
 医療事故で患者を死なせた医者が居たときに、医学のすべてを一緒に批判するのはバカの考え方なのと同じように、霊能や占いやらも、個々の事例やそれら個人をきちんと批判しなければいけないんです。
 占いのことも霊能の事も、「知らないし分からないから」 と言って全部まとめて否定するのは、「医学のことは分からないから」 という理由で、「医者はすべてインチキで、医者になんかかかるヤツが悪い」 なんてのと同じくらいに暴論なんです。
 
 科学と文化を対立させるという基本姿勢が間違っている上に、例えばゲーム脳のようなインチキ科学を批判するときは、きちんと科学的に批判しなければならないのと同じように、心霊や占いの中にあるインチキを批判するときは、ちゃんと文化的に批判しなければなりません。
 なんでも鑑定団で1000万の値が付いた茶碗に対して、「科学的に見ればそれはただの古い土塊だよ」 なんて批判をしても何の意味もないんです。
 だから、インチキの霊能者やインチキの占い師にだまされている人を救いたい、などという大義名分を掲げるならば、ちゃんと相手の土俵に降りて、文化的な立場で批判しなければ何の意味もないんです。
 そして結局のところこのテの番組、このテの企画でやる事と言うのは、そういう文化的な意味で信じるモノが異なる人 (骨董品に大金をはたいて満足する人と同じように、心霊や占いという文化に傾倒する事に安らぎや慰めを求める人たち) を、バカだ何だとののしって自己満足に浸るだけ、という、実にばからしい茶番でしかなかったりするので、僕はそういう茶番をしてゲヒヒゲヒヒ言っている人をバカにしておこうかなっ!
 みたいなっ!
 なんかまとまった気がするからこんなもんでいいや。


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名無し

こんなもんでいいや。まで読んだ。
by 名無し (2007-04-15 01:51) 

へぼや

 ゲェーッ!!
 「こんなもんでいいや。」まで読まれたぁーッ!!
by へぼや (2007-04-17 03:14) 

見ました

巧妙になったペトロを見たよ。

でも、結局、斜に構えてるってのは見透かされてるんだよ。

もう、そこは、基本だから、直んないの!!。
自意識の塊だけど、ちっとは、本音でしゃべろうや。
by 見ました (2007-04-17 03:42) 

へぼや

 そうか…。大人の階段を登っていってしまったのね…。
by へぼや (2007-04-21 03:06) 

魄鸚

偉そうに言っていても、自分の生活が大事ですから、
ある一定の所で、自分捨てて、
郷に従っている人の方が賢い生き方と思います 
by 魄鸚 (2007-04-26 00:45) 

魄鸚

ところで、心霊現象についでですが、自分の家では
スイッチを切っていたipotが突然作動する、
(店員に聞いてみたところ、そういう報告は聞いていないということだった)
簡易テレビが誤作動起こす
ポータブルハードディスクが突然作動する等の機械の誤作動
電波時計が早く進んだという事はじめ、
「キーン」「ウィーン」という音と共に、耳に膜張った感じ、
内耳のじりじりする痛み、鈍痛、頭が重い、耳の上の部分と、
後頭部下辺りの鈍痛、時々ジーンという振動感じたり、
何かがハジケル様な「パツン」というラップ音などしますが
心霊現象と言われるんでしょうね 

ところで、数年前に北海道の方で、違法電波と思われるもので、
シャッター、車のレーザーキーが誤作動した 
というニュースを見ましたが、
私は、電磁波や、可聴域以外の特殊音波、その他、電波周波数が
関係していると思うのですが、いかがでしょう?

電磁波や低周波、超音波の影響でそういう事は、
無いといわれる事が多いので、心霊ですかね?
低周波公害を訴えている人もいるようですが、
それも心霊現象で済ませばいいのにと思ってしまいます 
by 魄鸚 (2007-04-26 01:57) 

へぼや

 電化製品系はあるみたいでスね。リモコンとか電波とか。
 非常に電波の悪いところに住んでいるようですな!
 電能者という職業の方がもしかしたら需要が増えるかもしれません。
 そんな事例より、僕の部屋でリモコンを含めたいろんなモノがよく無くなる事例の方が、まず間違いなく妖怪リモコン隠しの仕業だと思います。
by へぼや (2007-04-27 02:26) 

暴論でしょ

ヘボロさんのスタンスは、
「心霊やらスピリチュアルやらを語るときは、文化的な観点で語らねばなりません」
という事ですが、その理由がわかりません、

似非霊能者が、物理的に、念力?で物を壊せると主張する以上、
その主張に対しては、科学的な根拠を持って、反論をするのは、別に悪くないでしょう。
というより、むしろ自然でしょう。


また、下記の発言は完全に暴論でしょ。本当に 意味ないですか?

>インチキの霊能者やインチキの占い師にだまされている人を救いたい、などという大義名分

を掲げるならば、ちゃんと相手の土俵に降りて、文化的な立場で批判しなければ何の意味もないんです。


インチキ霊能者に騙される人は、
「インチキ霊能者が病気を治してくれる」とか言っているのを信じて大金はたいてる訳ですから。
騙されている人の目を覚まさせる(あるいは、騙されない)には、
科学的根拠にもとずいた批判は、全然OKだと思いますよ。
それによって、目が覚める人もいるんじゃないですか?

何の意味もないって事はないでしょう。訂正したほうがいいですよ。
by 暴論でしょ (2007-08-15 23:00) 

へぼや

 僕のスタンス、というかこの記事で書いていることは実にシンプルです。
 「オカルトで救えるならオカルトで救えばよいし、科学で救えるなら科学で救えばいい。どちらかでしか救ってはいけない/どちらかしか信じてはいけない、というのは、現実的ではないし横暴だ」 という事です。
 現代医術で直せるモノを、治せもしない壺や祈祷で治せると言い張って、救いもせずに金をむしり取るなんてのは、救えていない時点でただの詐欺です。
 しかしそれでは、現代医学でも直せない人はどうするのか?
 そこに対してのアンサーは、治せない時点で科学至上主義には存在して居ないのです。
 僕が論点としているのは、対象者を救えているか救えていないかだけです。
 救えないのならば、科学もオカルトも役立たずですし、救えるならばどちらも有用です。
 しかし科学万能主義者というのは、オカルトで人を救うと言うことそれ自体までも否定するべきだというスタンスにいます。
 それは結局、過科学という唯一真理に帰依しない異端は地獄にに落とせ、という事と大差ないのです。
 繰り返しますが、救うことを前提にしたときに、ただ単にオカルトを科学というツールで解体することになんか 「意味はない」 のです。
 なんでもかんでも、ぶっ壊しゃいいってンなら、世話は無ぇのです。
 壊す前に、ちゃんと直すこと、再構築する事を視野にいれなさい。
 それが出来ないなら、やたらに壊すんじゃあありません。
 文化的なものとしてできあがっているオカルトを壊すなら、文化的に解体して、文化的に再構築するのが、一番まっとーなんです。
 目が覚めればそれが救いだ、なんてのは、傲慢です。
 別の言い方をするなら、出来の悪い嘘で救われていると思っている人を救うためには、もっと出来の良い嘘で騙すべきなんです。
 そして科学は嘘をつけないから、嘘で救われている人を救うことは出来ないのです。
 途中で科学を利用したとしても、きちんと嘘を残さなければ画竜点睛を欠くのです。

 ちなみに、たいていの自称、科学万能主義の人は、「自分は科学的で正しい」 という嘘を自分につくことで、救われています。
 
by へぼや (2008-01-10 04:43) 

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