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結局、数には勝てないのだなぁ みとぅを [ヘボ論]

 フリー編集者、多摩坂氏のインタビュー記事
「マンガ編集はこんなに面白くて、やりがいがある」-現役編集者ブログ・ラノ漫
http://interviewwith.blog44.fc2.com/blog-entry-45.html

 この人に関する事前情報は全くなかったのですが、記事自体は興味深く面白いものです。
 皆さんもごらんになることをお勧めした上で、僕のいつものアレ。


 僕はこの人の言うことが間違っているとは全く思わないし、この人の立場としての筋が通っているとも思います。
 メディアミックスの編集者は映画監督に近い、という視点も興味深いですし (僕はけれども、どちらかというとプロデューサーの方が近いとも思いますが)、漫画業界にあるメディアミックス軽視の風潮に対しての提言も成る程と思わせます。

 ただ、好きか嫌いかで言えば、嫌いです。
 この感覚は多分、伊集院光がエンタの神様の五味プロデューサーに対して抱く感情に似ていると思います。
 つまり、多摩坂氏の考える正しさ、筋というのは、僕のような人間を抹殺し根絶することを前提に成り立っているからで、えぇ、ございやす。
 数字至上主義の行き着く先は、常に必ず、マイノリティの根絶に行きます。
 根絶、は言い過ぎだろ、とか、ていうかそもそもマジョリティ指向の人間にとってマイノリティなんてのは路傍の糞より価値がないので、そもそもそんな熱心に根絶する意味もなきゃ興味もありゃあしませんと言われればまぁその通り。これは多分に、僕のひがみ根性と被害妄想のたまものとしての表現です。
 けれども、路傍の糞より価値のないものとして切り捨てられる方は、切り捨てる側のように気楽ではないですからねぇ。

 「確率論的には、20本売れば1本は売れる」 「10万部売れない作家はいらない」 というのは、つまるとこ 「20人の作家を打ち出せば、そのうち1本は10万売れるから、残りの9人は捨てちゃえばいい」 って話です。
 そしてこれはそのまま、「10万部に満たない売り上げしか残せないような作品を好きになるよーな読者も要らない」 という事です。
 数字がとれる売れ線を、周りと同じヨーに好きになって、周りが買う物を買うと同じよーに買う読者以外は、要らない、と。
 エンタを見ないヨーな視聴者は要らない、ってのと同じです。
 自分の生まれ持ち育つ中で出来上がった感性に従って、たとえ売れ線でなくとも好きだというものを好きになる。
 多摩坂氏にとって、そう言う読者は 「数字にならない」 から、「路傍の糞より価値がない」。
 「10万部売れない作家」 を否定すると言うことは、「10万部売れない作家を好きになる読者」 も否定することですし、そしてそういう読者を排除することが、数字至上主義者としての彼の命題で。
 つまるとこ、「てめーみてーな糞ドマイナーな感性のヤツは、さっさとしねばいいじゃん」 なワケです。
 ひどい! しねばいいとか! [言ってません]  

 「SFやファンタジーの可能性を、コアなファンが潰していった」 っていうのも、それはそれで分かります。
 けど、僕はSF自体にはさほど思い入れはないのですが、ファンタジーに関してはちょいと思い入れがある。
 だから、可能性を潰した悪者として語られる人たちの心情も、分かる。
 結局、「自分の愛しているSF(ファンタジー)」 の範疇に受け入れられないもの受け入れた上でそのジャンルが広まったとしたら、そこに自分の居場所はないんですよ。
 売れれば、数字至上主義の商売上手な人たちが市場を独占するわけです。
 そうなれば、そこに溢れるものは、「自分が愛したSF(ファンタジー)」 とは似てもにつかないもの。
 それらが氾濫し、大勢の人間がそれらを良い良い、素晴らしい、サイコー、うわチョ神作品キター、なんぞと言うわけです。
 そこで、「自分が愛したSF(ファンタジー)」 の話をしたところで、「懐古中乙」「老害ウゼェ」「キモヲタ氏ね」 と言われて、ジエンドオブ涅槃ゲリオンです。(何度目だこのフレーズ)
 そらぁ、進んでそんな世界を望む人はおらんわなぁ。
 まぁ、当時そこまで先のことを考えた上で、「そもそもSFとは…」 等と言っていた人はそうはおらんでしょうが、多摩坂氏が言うような、「SFの可能性を潰していった自称コアなSFファン」 の腹の底には、そういう危機感というか、もしガンダムやうる星やつらを受け入れた上でのSFが出来たときに、自分たちの居場所はどうなるかという潜在的なおそれはあったのではないか、とは思います。
 数字至上主義の目線からすれば、SFというジャンルが数字をとれたかも知れない可能性を潰したことそれだけで、彼らの有り様は悪そのものでしょう。
 けど、彼らは数字ではなく、自分の在るべき場所それだけを守ろうとしていた。
 なんつうんですかね。「町の発展のための観光事業開発のため、君らのこの糞寂れたSF村から出て行って、勝手にのたれ死にでもしてくれんかね?」 なんて言われて、そうそう 「それが世の中の大多数の人のシヤワセならば、喜んで立ち退きましょう」 なんて言うわきゃありません。
 少数派は常に頑迷なんです。
 だって、弱いもの。
 弱くて、不器用で、そうそう簡単に多数派に乗り換えたり出来ない。
 だから、端から見ればちっぽけながらくたを、必死で、時にはなりふり構わずみっともなく、守る。
 
 インタビュー序盤で、かつて多摩坂氏がギャザリング大会に出ていた頃に「気づいた」エピソードとして、
 「どんなに世界大会でずば抜けた強さを発揮したところで、結局企業に金払ってゲームをしているだけでしかない。ただ搾取されているだけだ。だとしたら、そういう人たち相手に商売をした方が旨みがあると気がついた」
 というのがあります。
 そしてそれが、編集者になった原典の一つでもある、と。
 
 これ、正しいけど、じゃあそもそも何であなた、ゲームやってたの? という話でもあるでしょ。
 おいしい思いをしたくてゲームを始めたの?  ゲームが楽しいからゲームを始めたんじゃないの? と。
 ここでこういう切り替えが出来るのは、それ自体は僕は凄いことだとは思います。僕はそれが出来ない方の典型なので、羨ましいというのもあります。
 けど、結局それって、そんなにギャザリングが好きじゃなかったってだけじゃないのかなぁ、とも思うのですよ。
 
 どんなジャンルでも、確かにずば抜けた強さがある人ってのは、何か違うモノを持っているというのは確かだと思いますが、でもそれ以前に、「金を払ってゲームしているなんて損している」 なんて事考えもしないほど、好きで好きでそれをしている。
 そしてだから、身もだえするほどにどうすれば勝てるかを考えて、どうしたら楽しめるかも考えている。
 簡単に損得の数字を計算できることも一つの才能だとは思うし、僕はそれが羨ましくもあるけれど。
 だからって、それが出来ずに身もだえしている人間を、ばっさり切り捨てて 「ほら、僕って彼らと違ってカシコイでしょう?」 としたり顔されると、まー気分はよろしくないのです。
 だめにんげんだもの。
 僕はこういうタイプの人には絶対に勝てないし、同じ土俵に登ることすら出来ないだろうけれど、それでも、身もだえしながら路傍の糞として生きていきます。うえ。

*--[2009.03.14追記]------------------------*
 なんかどーも、僕のしらんウチに件の多摩坂氏のインタビューが大バッシングされてしまったらしく、リンク先の記事が全削除されてしまっていた様子。
 うーん、賢くないなぁ~。
 [魚拓リンク]
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