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非実在青少年関係 「青少年育成条例改正? ふーん、いいんじゃない?」 と言う人へ [と条例問題]

 さてまあ実に賑やかな都の青少年健全育成条例の改定案及び、「非実在青少年」 問題。(以下、と条例問題)
 一応この件に関して、自分なりの考えを纏めておこうと言うことで、ここに一旦書き込みをします。
 具体的な状況や、行動の提案などはここではしませんし、その辺りの必要な情報は他の所で確認しましょう。

 傍聴の様子はこのあたり等々など。
[山本ピロチのSF秘密基地BLOG]http://hirorin.otaden.jp/e92578.html
[草冠に西]http://d.hatena.ne.jp/cuervo/20100319
 そのほか
[たけくまメモ]http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-0100.html


 で。
 ここは実に観念的に。
 主に、「考え方」について纏めるだけにします。


●「表現の自由とは、自分の好きな物を好きに読む自由ではない」

 この件について、大きく分けるときに、「これは表現の自由の問題だ」「いや、道徳倫理の問題だ」という二つの立場があります。
 まず僕の立場はどうか、というと、「これは、まず第一に、"表現の自由" の問題だ」 です。
 
 で。

 じゃあ表現の自由とは何か? という大本についてですが。

「表現の自由とは、自分の好きな物を好きに読む自由ではない。
 自分の好きな物も嫌いな物も、政治、信条、好悪、善悪に関係なく、
 国や権力によって、検閲、規制をされない権利」
 
 です。

 だから、本質的にこの表現の自由というのは、「作家や出版社、表現者クリエイターだけの為の権利ではない」 という事。
 全ての国民が、国や権力によりその意思、表現、主張、思想を、検閲され規制され、それによる差別や不利益を被ってはならない、というものなのです。

 「自分は別に、漫画やアニメにも興味がないし、別に作家業をしているワケじゃないから、そんなの関係ないね」
 というのは、大間違い。
 
 まさに、そういう事を考えたり、口にしたり、ネットで書き込んだりする権利そのものが、表現の自由なのです。
 勿論、これも。


●「誰も、児童ポルノを自由に作らせろなんて事は言っていない」

「だからって、児童ポルノを作って良いなんてことはないだろう」
 
 当然です。
 ただし確認ですが、ここで言う「児童ポルノ」とは、当然のことですが、実在児童が強制的或いは半強制的な関係性において、その人権を侵害されるように強要されるポルノそのものを指します。
 ぶちまけて言えば、「親や近親者等の第三者が、子どもの性を切り売りしたり、搾取したりする行為など」を、表現の自由などとは言いません。
 それは、ただの犯罪です。

 今回の件を、「児童ポルノの規制派と、児童ポルノ愛好家の戦い」 かのように言うのは、ミスリードです。

●準児童ポルノって? 

 それでは、規制主義者の定義する、「準児童ポルノ」は?
 これはつまり、彼らの定義する「児童 (18歳未満と判断できる、創作上の登場人物 = 非実在青少年)」 による、「性的な行為」を、「肯定的に描いたもの」は?
 
 ここが、表現の自由として語られる要点です。
 
 「児童ポルノ」の問題と、創作表現上の 「18歳未満と判断できる登場人物の性的な行為の表現」 は、根本が全く違う。
 言うまでもなく、前者は確実に助けなければならない被害者が居て、後者にはソレが居ないと言うことと。
 前者は表現ではなく、後者は表現だと言うこと。
 この二つが、根本的に違う。
 
 不道徳な行いをすることと、不道徳なことを表現することは全く違う。
 犯罪を犯すことと、犯罪を表現することは違う。
 人を殺すことと、人を殺したいと思うことは違う。
 公衆の面前で股間を丸出しにすることと、公衆の面前で股間を丸出しにしたら面白いだろうなー、と、考えることは違う。
 キムタクにソックリなイケメンであることと、自分はキムタクにソックリのイケメンだと言い張ることはまるで違う。

 今回の改正案は、その全く違う二つの事柄を、まるで同一のことであるかに詐術でミスリードして、誤魔化そうとしているのです。

 ここで、「表現の自由とは?」 という、大前提に戻ります。
 
「表現の自由とは、自分の好きな物も嫌いな物も、政治、信条、好悪、善悪に関係なく、国や権力によって、検閲、規制をされない権利」
 
 民主主義、自由主義において、決して侵されてはならない権利の一つです。

「こんなに幼い(様に見える)子どもが、犯される漫画が存在するんです、許せない!」
 
 そうです。存在します、許せないと思ったとします。
 それが 「醜悪だ、許せない、不道徳だ!」
 と、声を上げることが出来るのは、何故か?
 「表現の自由があるから」です。
 表現の自由がなければ、不道徳で不健全な物を、不道徳で不健全だと指摘したり、糾弾したり、批判することも出来ない。
これは間違っている! 
 そう自由に発言できること。
 それが、「表現の自由」です。
 
 自分が批判したいときには「表現の自由」を行使するのに、その批判対象に関わる人に対しては、「表現の自由」を認めない。
 
 それは、決してあってはならない事ですし、自分が今立っている土台そのものを壊そうという行為です。
 日本人として、自らが得ているはずの、「表現の自由」という権利を、自ら投げ捨てるようなものなのです。
 

●それじゃあ、俗悪な表現を放置しておくのか?
 俗悪で、不道徳で、これは世にあってはならないと思える創作物があったとします。
 だったら、貴方が採るべき第一の手段は、「表現の自由」を行使することです。
 批判をし、糾弾をする事です。
 出版社に抗議をしましょう。
 或いは書店に抗議をしても良いでしょう。
 不買運動を始めても良いでしょう。
 抗議デモをしても良いです。
 そうする権利が、貴方にはあります。
 嫌がらせ、ではありません。営業妨害、でもありません。
 表現の自由に基づいた、抗議です。
 それが 「表現の自由」 だからです。
 出版社だって営利企業です。
 批判が多くなって、これは商売にならんと思ったら、自主的に販売停止にします。
 出版社なんて所詮その程度です。
 連中、たいして根性無いんです。
 岩波みたいな、立派そうな所ですら、ちょっと文句言われただけで、『ちび黒サンボ』を絶版にしたりするんですよ。
 その程度なんです、彼ら。

 ですが、「公権力に取り締まりをして貰おう」と。
 これは、最悪です。
 
 公権力に、表現の自由を取り締まって貰おうというのは、最悪の方法なのです。
 
 それは、「権力者様、私たちの首に縄を付けてください」 と、自らお願いをしに行くようなものだからです。
「どうぞ権力者様。私たちの首を縄で括って、いつでも好きなときにキュッと締めてください」 と。

「公権力に表現の自由を取り締まって貰おう」 というのは、そういう事なのです。
 それは、奴隷の安寧です。

●でも、それでも出版され続けていたら?

 勿論そう言うことはあります。
 貴方に主張があるように、当然相手にも主張があります。
 もし相手に根性があれば(無いことの方が多いですよ、出版社なんて)、彼らも自分達の意志と権利を主張します。
 これは、「価値観の戦い」なんです。
 戦って、頑張って「勝って」ください。
 でも決して、勝てないからと言って、対話もせず、戦いを放棄して、奴隷に成り下がることは、止めてください。
 
 目の前の戦いに勝てないからと言って、権力の奴隷になるのは、親や祖父母、そして子や孫にも顔向けの出来ない、最も恥ずかしいことだからです。


●僕の爺様は、第二次大戦中に反戦ビラを巻いていた。

 母から聞いた話ですので、詳細はよく知りません。
 知りませんが、僕の祖父は、第二次大戦中に反戦ビラをまいて、特高警察に捕まったことがあるそうです。

 あの時代は、「反戦」を唱えると言うこと、表現すること、意思表示をすることが、「社会通念上許されない悪」であり、「国家に対する反逆行為」であるとされていたのは、皆さんご存じでしょう。
 反戦は、許されない悪であり、公権力により弾圧されて当然という時代。
 ホンの、60年ほど前です。
 
 小林多喜二が、「労働者の自由」を主張して、投獄された後拷問で殺されたのは、1933年、77年前。
 
 「公権力が、悪と認めた表現や主張を、公然と取り締まり、弾圧し、殺していた時代」から、まだ1世紀も経っていないのです。
 そして今も、世界中の様々な国で、同等のことが行われている。

 表現の自由というのは、そういう血の歴史の上で、なんとか危うくも成り立っている。
 それだけの価値がある、尊い物です。


 …まあ、僕の祖父に関して言うと、下っ端も下っ端だったので、早々に釈放されたらしいのですけどね。
 近所からは、「アカだ、非国民だ」と言われて、それなりの苦労はあったらしいですが。


●もし、貴方が人の親で、子どもに誇れることを伝えたいのならば。

 もし、貴方が人の親で、子どもに誇るべき事を伝えたいのであれば、それは、「不健全なモノ、いかがわしいモノを、公権力によって規制し、弾圧してもらうこと」ではありません。
 それは、恥ずべき事です。
 もし貴方が人の親で、子どもに誇るべき事を伝えたいのであれば、「日本には、民主主義、人権、表現の自由という、誇るべき価値があり、我々はそれを守り後世に伝えていくことが出来る」 という事です。
 
 もし貴方が、自ら進んで公権力の手にそれらを明け渡して、守るべき自分達の権利を規制して貰うことを選んだとしたら?
 それを、貴方の子どもは将来どう思うでしょうか?
 誇りに思うでしょうか?
 貴方を尊敬してくれるでしょうか?
 有り難うと、感謝してくれるでしょうか?
 考えてみてください。 
 10年後、20年後に。
 あなたの子は、そんな事をしたあなたを、誇りに思ってくれるでしょうか?
 考えてください。

 

●彼らは「青少年のために表現の自由を侵害するべし」と言う。我々は、「青少年も、表現の自由も、共に守るべきだ」と言う。

 最初に述べたとおり、僕は「表現の自由を守るべき」だという立場です。
 ですがそれは、「表現の自由のためならば、青少年がどうなっても良い」 という意味ではありません。

 今回の改訂に、例えば規制主義者の方々が、「青少年の健全な育成」を掲げているからと言うことで、賛同するべきなんじゃないか? と好意的に考えている人に対してはっきりとしておくべき点は、そこなのです。
 反対派にも色んな人たちが居ますから、全てがそうだと言うことではありませんが、基本的には、主だって反対を主張している人たちや団体の人たちも、当然、「青少年なんかどうなっても良い」と、主張しているわけではないのです。

「青少年も、表現の自由も、共に守るべきだ」

 これが、当然も当然、まっとーもまっとーな、当たり前のことです。
 
 取捨選択するようなことではないのです。
「青少年の未来か?」「表現の自由か?」 という、そんな二択で出されること自体が、既におかしいのです。
 青少年の未来を守ることは、表現の自由を守ることと通底しています。
 彼らが大人になったときに、自由に表現したり発言したり出来ない未来を作ってはいけないからです。
 彼らが大人になったときに、平気で表現の自由を売り渡したり、他人の自由を抑圧、弾圧したりする大人になってはいけないからです。

 それが、大人のあるべき姿勢であり、大人の負うべき責務であり、政治の目指すべき未来です。

 ですが、今回の改定案を制作した人たちは、違います。
 彼らは「青少年のために表現の自由を侵害するべし」と、そう言っています。
 何故、そう言うのでしょうか?
 そこを、考えてください。

●議事録における、彼らの発言を見るに

 今回の改定案の制作の際の議事録が、pdfファイルでネット上から閲覧することが出来ます。
 いくつかの場所でそれらの内容が引用されたり言及されたりしています。
 内容自体は、誰でも閲覧できます。

 http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/09_singi/28b7giji.pdf
 http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/pdf/09_singi/28b8giji.pdf

 ここでは、一部を引用します。
 (勿論これは、僕による恣意的引用ですので、詳細は自らご確認することが望ましいのは言うまでもありません)


●差別主義

大葉ナナコ氏の発言の一部引用

*--------------------------*

「漫画のひどいものが出ているといったら、その人たちはある障害を持っているんだと
いうような認識を主流化していくことはできないものか。」(第8回P.28)

「性同一性障害という同じ位置づけで、子どもたちに対する性暴力を好む人たちを逃がし
ていくとしたら、障害という見方、認知障害を起している人たちという見方を主流化する
必要がある。」(第8回P.29)

「対策論の中に、そういった障害、認知に対して障害がある、感性だけだ
ったら、暴力だということがわかっているんだったら、証拠もないのにという議論を突破
できるような対策も考えていきた」(第8回P.29)

*--------------------------*

 これは、どういう意味か?

 この発言には、二重の差別主義が含まれています。

 まず第一に、「認知障害などの障碍者は、差別弾圧して良い」 という認識。
 そして第二に、その前提認識に基づき、「(彼らが規制しようとしている)ひどい漫画の愛好者に、"彼らは障碍者だ"というレッテルを張ることで、根拠無く法的な差別、弾圧を行える」 という認識。
 (子どもたちに対する性暴力を好む人たち、と発言していますが、実際に彼らが規制しようとしているのは、性暴力ではなく性表現です。性暴力は言及するまでもなく犯罪です)

 正直に言います。
 ゾッとしました。
 行政の中の、条例改定案を考えるという責任ある立場の人間が、こんな事を平然と言っているという事実に、ゾっとしました。

 僕の親戚の中には、躁鬱病質の人が居ます。
 また、軽度アスペルガーの人も居ます。
 
 そういう、何らかの精神的疾患、気質を抱えている人は、彼らにとっては 「健全な青少年の発達を妨げる、弾圧して良い存在」なわけです。
 
 この改定案に好意的な人の中にも、例えば親類縁者、或いは自分自身、又は子どもに、そういう何らかの障碍を抱えている人が居るかも知れません。
 
 改定案を作った人たちは、それらの人々は、「青少年の健全な育成のために、差別弾圧して良い」という認識なのです。

 こんな不健全なもの、子どもに見せたくはないです!
 でも、現実にこんな人たちの「正論」が、この条例改定の原動力なのです。 


●民主主義の軽視
*--------------------------*
新谷珠恵氏の発言の一部引用

「細かい議論も大事なんですが、そういう団体の方たちに対
する説明とか調査データもそうなんですが、極論を言うと、示す必要もないくらい当たり
前、正論でガンと言っていいのではないかなと、そのくらい強く私は思います。」 (第8回P.26)

大葉ナナコ氏の発言の一部引用

「漫画家の方たちがすごい議論を持ってきて、何とか法制化するという人たちに対して攻
撃をするということだったんですけれども、どう考えても暴力で、エビデンスを出す時間
もない、必要もないぐらい暴力ですね。」 (第8回P.28-29)
*--------------------------*

 密室で、ほとんどの国民はおろか都民のあずかり知らぬ所で、実質国民全員に影響しうる条例案を。
「反対意見など、聞く必要も説明する必要も無い」 と、そう断じて。
 早急に成立させようとしている。

 国民主権の民主主義国家で、自分達の意見を表明することが、「攻撃」であり、「暴力」だと断ずる。
 これほどまでに、民主主義を愚弄している人たちが。
 「人権」を無視して。「表現の自由」を無視して。
 条例を成立させようとしている。

 
 どういう事でしょう?

 最初に述べたとおり、表現の自由と民主主義は根底が同じです。
 「民主主義」 を成り立たせているのは、誰もが公権力に検閲されず規制もされずに意見意思を表明する事が出来るという 「表現の自由」 であり。
 「表現の自由」 を保証するモノは、唯一 「民主主義」 でもある。

 全体主義、軍国主義には、「表現の自由」 はありません。
 公権力に都合の悪いモノは規制され、弾圧され、排除される。
 
 でも日本は、「民主主義国家」のハズなんです。

 
● 彼らは、「青少年のためならば、表現の自由を侵しても構わない」 と思っているのではない。

 議事録内の問題発言から読み取れることは、彼らは本質的なところでは、「青少年のためならば、表現の自由を侵しても構わない、と思っているのではない」 という事です。
 そうではないのです。

 そもそもハナから、民主主義を守る気も、表現の自由を守る気も、人権を守る気も、さらさら無いのです。
 それらを守り、また日本の誇るべき価値観として、孫子や後世に残すべきだ、という責任感も意識も、まるで無いのです。

 「よおう、俺の名前は規制主義者! ロビイ活動の天才だ! 人権? 国民主権? 表現の自由? 憲法? だから何!?」

 そんなもんなんです。

 だから、密室で条例をこね回し、反対意見など全て黙殺し、自分達に都合の良い条例を成立させるなんて事が、平然と出来る。
 民主主義、人権、自由というものを、後世に伝えるべきとも、青少年に伝えるべきとも思っていない。

 彼らの考える 「健全な青少年」 には、民主主義も、人権も、自由も、「不健全で、必要ない」 のです。
 それが、彼らの 「正論」 です。
 それが、彼らの 「善意」 です。
 彼らが求めている、「民主主義も、人権も、自由もまるで考えない、健全な青少年を育成すること」 を、貴方は望みますか?

 僕は、イヤです。

  
●「フィクションに害はあるのか?」

 「健全な青少年の育成」 を取りざたすときに、「漫画やアニメの暴力表現や性表現が、子どもに悪影響を与える」 という、「フィクション害悪論」があります。

 実際、フィクションに他者の何らかの行動を誘発する影響力はあるのか? といえば、「ある」というのが、答えです。
 フィクションに影響力はあります。
 フィクションに誘発され、犯罪を犯すケースは、絶対にあります。

 過去にも。

 例えば石原慎太郎都知事の著作、『処刑の部屋』(及びそれを原作とした映画)のレイプ描写に触発され、1件の強姦事件と、2件の強姦未遂事件が起きているという記録があります。
 都知事は、実に不健全で醜悪で犯罪的な内容の著作を沢山執筆なさっているそうです。
 金持ちのボンボン達が暇をもてあまして、精神障害のある少女を輪姦して売春宿に売り飛ばし、最後には崖から突き落として殺してしまう『完全なる遊戯』等、あらすじを読んだだけで気分が悪くなります。

 ひとまず。
 「フィクションには影響力がある」
 これは間違いありません。

 そしてその影響には、一般的概念での「良いもの」も「悪いもの」もあり、その影響の結果「良き行い」 をする者も、「悪い行い」をする者も居ます。
 要するに、千差万別です。

●「不健全と言われる欲望や衝動と、不健全な精神に基づく行いは、別物である」

 記録に残っているだけでも、石原慎太郎の著作、『処刑の部屋』 とその映画の影響で、1件の強姦事件が起きている。
 もしかしたら表面化していない事例で、まだあるかもしれませんが、それは解りません。
 事件当時は相当な批判に晒されたようですが、作家・石原慎太郎はそれを受けて絶版する事もなく、筆を折る事もなく、それなのに何故か都知事になってからは、「不健全で醜悪な"漫画など"は、規制し排除すべきだ」 と、声高に主張しています。
 不思議なことです。
 規制される側ではなく規制する側の権力を得たからでしょうか。
 それとも過去の事件を過ちと恥じてでしょうか。

 後者だとしたら、その作品を自ら封印していないのはおかしいので、おそらくそうではないのでしょう。
 自分の著作は文学であり素晴らしいが、漫画などは低俗でくだらないから規制して良いというのかもしれません。
 とはいえ、その素晴らしい文学に触発された犯罪は起きているし、今のところ、彼や都議会が規制しようとしている作品群に触発されて犯罪に至ったという報告はありません。
 規制するべきではない高尚な文学が犯罪を誘発し、規制するべき低俗な漫画に誘発されては居ないのです。
(勿論、過去において、「漫画からヒントを得た」とする犯罪加害者の証言はあります。
 例えば綾瀬コンクリ詰め殺人事件の加害者少年(当時)は、被害者少女の遺体をコンクリ詰めにするという行為のヒントを、ヤクザ物の漫画から得た、と証言しています)
 

 しかし、どのような表現が不健全か、或いは健全か。
 また、何が高尚で何が低俗か、は、この際関係ありません。

 フィクションの描写に誘発されて、犯罪を犯した例はあります。
 けれども、もしフィクションに犯罪の根本原因があるのならば、何故そのフイクションを読んだ全ての人間が、犯罪を犯さないのでしょうか?
 石原慎太郎の『処刑の部屋』が、どれだけの部数が売れ、何人の人が読んだかは解りません。
 しかし、それに触発されて、強姦を犯したのは1件。犯そうとして失敗したのが2件。
 記録上は、それだけです。
 本当に、石原慎太郎の作品に犯罪を誘発する根本原因があるのなら、それを読んだ全て、または多くの人間が、犯罪を誘発されているはずです。

 つまり、ほとんどの読者は、『処刑の部屋』 の俗悪なレイプ描写を読んでも、「よし、俺もこの手口を真似てレイプをしよう!」 と考えなかったか、或いはそういう気持ちになっても、実行はしなかったと言うことです。

 もしかしたら、性的に興奮した後、欲情を発散して済ませたのかも知れませんし、或いはそういう犯罪を疑似体験した上で、強姦などの行為を嫌悪したのかも知れません。
 
 健全、不健全を言うのであれば、性的な描写を読んで興奮すること自体は、とても健全なことです。
(ごく個人的に言えば、僕は強姦や陵辱では興奮しないので、石原慎太郎とは趣味が合わないと思いますが)
 そしてそれらの興奮をフィクションで発散し、行動に移さないのも、凄く健全なことです。
 
 では、フィクションの影響で犯罪を犯す者と、犯さない者。
 その差は何なのか?
 同じように俗悪で醜悪なものを見ても、どうしてそんなにも、影響の受け方に差がでるのか?
 そこを、考えてみてください。


●ある者は聖書を左手に、右手の剣で数多の人間を殺し、ある者はポルノを左手に、自らの剣を慰める。

 どんなに素晴らしいことの書かれた本を読んでも、それを利己的かつ傲慢な殺人や犯罪行為、他者への抑圧の大義名分としてしまう者も居ます。
 どんなに俗悪で醜悪な本を読んでも、そのフィクションを実際のよからぬ行動として反映させない者も居ます。
 
 その差は何か?
 もう、解りますね。
 つまりそれが、「健全か否か」 という事です。
 
 目指すべき「健全な青少年」のあるべき姿は、「フィクションなどの影響を受けて、犯罪やそれに類する形で他者の人権を侵害するような行為に及ばないこと」 です。
 
 もし、その人が不健全な精神状態にあれば、どんなに素晴らしい本を読んでも、どんなに真摯なテーマの込められた作品を見ても、不健全な思考で不健全な解釈をし、不健全な影響を受けて、不健全な形でそれらを発散する可能性があります。
 もし、その人が、健全な精神状態にあれば、俗悪で低俗な表現や描写を読んだり見たりしても、それらを真似をして犯罪や他者の人権を侵害する行為に及ぶことはないでしょう。
 
 そして、その健全さを育むために必要なのは、差別主義でも、人権の軽視でも、表現の規制、弾圧でもありません。
 それら不健全な行為は、青少年に不健全な正義感や傲慢さ、或いは卑屈なニヒリズム、無力感を教えます。
 
 人権も、表現の自由も、民主主義も。
 現代日本での、青少年の健全さを育むための重要な要素です。
 それらをないがしろにして育まれる健全さなど、ありません。
 
●「だったら、全ての表現物を野放しにするべきなのか?」 
 前項で、「不健全な精神状態にある者は、フィクションによりその不健全さを助長する影響を受ける場合がある」
 と書きました。
 最初から、女性や他者の人権を尊重する意識のある者は、仮に性的好奇心等から、石原慎太郎のレイプ小説やレイプ物のAVなどのフィクションを読んだり見たりしても、実際にそのように行動しようとはしません。
 常から、女性や他者の人権など意に介していない者であれば、レイプ小説やレイプ者のAVを見て、「よし、俺も真似しよう」等という、不健全な事を考え、或いは実行してしまいます。
 このような、他者に不当に害をなすことを厭わぬ不健全さとは、正しく人権意識の欠如に他ならないわけです。
 
 そして、人権意識に乏しい者は、不健全な者ばかりではありません。
 未熟な者。
 つまり、子どもです。
 
 子どもは、純粋なのではありません。
 単に、未熟なのです。
 未熟だから、他者の人権を尊重することがどれほど大事なのかが、まだ解りません。
 未熟なので、自由や権利、民主主義がどれだけ大事かを知りません。
 
 ですが、未熟ならば、彼らが成長する段階ごとに、成熟した健全な人権意識を持つことが出来るようになるはずです。
 つまりそれこそが、「健全な青少年の育成」 です。
 
 決して、人権を無視した抑圧や差別主義、公権力による規制、弾圧では、そのような健全な青少年は育たないのです。

 今回の改定案を作ったような人たちの、差別主義や人権意識の欠如した抑圧では、決して健全な青少年は育まれません。
 彼らの考えに沿った青少年は、他人の権利や人権に無配慮で無神経で、ただ未熟なままの無知な大人になるだけなのです。

 必要なのは、公権力による規制ではありません。

 「ゾーニグン」と「リテラシー」です。

●ゾーニングは好きです。リテラシーはもっと好きです。

 人間の中には、不道徳、不健全と言われる類の欲望衝動が、誰にでもあります。
 あって当然なんです。
 性的、暴力的なことだけではありません。
 妬むこと。羨むこと。悪心を抱くこと。
 蔑むこと。傲慢になること。卑下すること。
 攻撃的になること。怒ること。怠けること。
 物欲や金銭欲に突き動かされること。
 誰かを傷つけ、殺してやりたいと思うこと。
 それら全て、「不道徳、不健全とされる欲望、衝動」です。

 健全か否かの差は、それらを、あくまで個人の中で、或いは他者の人権を侵害しない形で発散、解消させる事が出来るかどうか、という差です。

 妬んだり羨んだりしても、それを向上心に繋げることも出来ます。
 けれども、その気持ちから、誰かに嫌がらせをし、足を引っ張り、不幸に陥れようとすれば、それは「不健全な欲望に基づいた、不健全な行い」となります。
 
 愛情は素晴らしい、恋愛は美しいと言われますが、その欲望を対象本人の望まぬ形で、人権を無視して押しつけようとすれば、犯罪という不幸な形で現れてしまうかもしれません。
 
 問題は、欲望や衝動それ自体ではなく、それをどう行動に表すか、です。
 
 そのためには、自分の欲望について正しく学び、理解し、それらを安易に抑圧したり卑下したりせず、健全な形で昇華したり、行動として表せるようにする事です。

 愛情の表し方を学ばねば、それによって他者を幸福にすることは出来ません。
 欲望の発散のさせ方を学ばねば、悪戯に周囲の人間を傷つけるかも知れません。

 それを学ぶための一つの基準が、「ゾーニング」であり、それらから物事を学び、きちんと考える能力が、「リテラシー」です。


●「ゾーニング」 -どう発信するか。

 ゾーニングは、子ども、又は青少年の成長段階に応じて、与えるべき表現を、段階づけることです。
 映画やゲームなどでよくある、「R-18」「R-15」等のものが、その代表例です。
「それって、規制と何が違うの?」
 というと、一番の大きな違いは、「公権力に依る排除、規制ではなく、我々自身が規定する自主的な分別、棲み分け」 という事です。

 大切なのは、「国や自治体、公権力に "我々の自由を規制する基準を決めて貰う"」 のではなく、「我々自身で考えて、"我々の権利と責任の下に基準を決める"」 という事です。
 決めるのは彼らではなく、我々です。

 以前の段で、「公権力に規制基準を決めて貰おうと言うことは、我々の権利を売り渡すことだ」と書きましたが、それは同時に、「我々の責任を放棄すること」でもあります。

 我々は、表現と自由の権利を持ち、と同時に、まだ未熟な子ども、青少年に対してそれらをどう教えるか、という事に、責任を持っています。
 
 その権利と責任を放棄しないためには、公権力に頼った規制ではなく、出版社、メーカー、販売店、そして我々自身による、「自主規制(ゾーニング)」 が、唯一の手段なのです。
 
 もし、貴方が、「何を言って居るんだ、今は全然野放しじゃないか!」 と思うならば、まず様々な書店や販売店で直接、現状を確かめてください。
 例えば、ゲームソフトや漫画においても、立ち読みできないような封がされていたり、区画がきちんと分けられていたり、又は購入時に身分証明書の提示を求められるという現場を知るかもしれません。
 または、それらと関係なく、まるで制限無く性描写が描かれ、売られている本などを見るかも知れません。
 それらの中で、貴方が妥当と思えるものと、そうでないものを挙げてみてください。
 そして、妥当ではないと感じたものについて、出版社やメーカー、販売店などに、訴えてください。
 一人では聞き入れて貰えないと感じたら、隣人や、友人や、家族や親戚。色々な人と話し合ってください。
 対話をして、様々な意見を聞いてください。
 人によっては、「君の基準は甘い。もっとはっきりとした分け方でないとダメだ」 と言う人もいるかも知れません。
 或いは、「何をそんな細かいことを言って居るんだ。そんな事に目くじらを立てるもんじゃないよ」 と言う人もいるかも知れません。
 そういう事を繰り返して、その中から妥当と思える基準を考えて、また、出版社やメーカーや販売店に、働きかけてください。

 それが、我々の権利であり、義務なんです。
 子どもに伝えるべき、大人の姿なのです。
「義務や責任を負うのは面倒くさいから、権利ごと放り投げてしまえ」
 なんていうのは、とてもじゃないけれども子どもに見せられない、恥ずべき姿勢です。

「何故我々だけがそんな事をしなければならないんだ。まずは出版社や作家や販売店が考えるべき事だろう!」 と。
 そう思う人もいるでしょう。
 当然、出版社や作家や販売店も、「よりよい在り方」を考えるべきです。
 表現する側、情報発信する側は、常にそのことを意識し、怠ってはいけないのです。

 (ゾーニングの基準のつくり方に関しては、僕自身の考えもありますが、今回はそこには言及しないことにします)

 
●「リテラシー」 -どう受信するか。 

 メディアリテラシー、という言葉を聞いたことのある人は多いと思います。
 平たく言えば、様々な情報媒体から発信されるものを、精査して判断する、という事です。

 嘘はないか。恣意的な伝え方をしていないか。偏りや間違いはないか。
 娯楽性に寄った部分は何処か。現実的な表現はどれか。
 この作品で訴えたいことは何か。この表現の意図は何か。
 
 新聞やニュース番組であっても、或いは自伝や伝記、ドキュメンタリーやノンフィクションであっても、あらゆる情報は、制作者、発信者の主観によって成り立っています。
 それらはその個人のパーソナリティ、性格や趣味、政治信条や思想、或いは無知や無理解、誤解や文化風習の違い、単なる趣味性や性的嗜好、又は単純にただの技術不足などで変化します。
 
 同じ出来事を綴った記録であっても、記した者の主観によりまるで違うものになります。

 それらを、見極める能力。
 それが、「リテラシー」です。

 この、リテラシー能力が低ければ、嘘を本当だと思いこんだり、娯楽としての虚構を真実と思いこみ、或いは、犯罪や暴力の悲惨さ、虚しさを訴える作品を見て、暴力賛美のメッセージと誤解するかも知れません。
 

●「ゾーニング」で発信を制御し、「リテラシー」で受信側が判断する。

 僕の考える、現段階で最も妥当かつ、「健全」なシステムは、このやり方です。

 判断力の発達に応じて、与える情報を段階的に制限する。
 そして、それらをきちんと判断できる能力を養うようにする。
 
 勿論、発達段階には個人差があります。
 そこは、周囲の人間、特に親がきちんと判断するべき所です。
 決して、自治体や国などの公権力によって、こうしなさいああしなさいと命令される謂われのないことです。
 ちゃんと子どもと向き合い、対話して、一緒に考えるのです。

●人は皆、セックスをする(事になっている) 
 都条例の改定案では、「18歳未満の青少年に、18歳未満の性的な行為の描かれたフィクションを、見せるべきではない」 という事になっています。
 みだりに、だとか、肯定的な、とか、色々と言葉がくっついていますが、文章を平たくすれば、そう言うことです。
 また、多くの人が指摘しているように、曖昧な文章で具体性に欠け、「条例が成立してから、適応範囲を決める」 等と、訳の分からないことを言っていたりもします。
 
「決まりを作ってから、その決まりの中身を決める」
 なんて、そんな馬鹿なこと誰が考えるんでしょう?

 しかし、です。
 どうやら、聞いた話では、人は皆、セックスという、性的な行為をするらしいのです。
 そして話によると、それは気持ちの良いモノで、またそれにより子供が作られるらしいのです。
 なんという事でしょうか!
 そんな事が本当にあるなんて!
 
 ……と。
 18歳になるまで、性的な情報を遮断されてきたとしたら、そんな反応をしてしまうかも知れません。
 まあ勿論、実際の所、本当に18歳まで性的な情報をシャットアウトすることなんかほぼ不可能です。
 それに、セックスが気持ち良いのも、それで子どもが出来るのも、基本的に真実です。

 と条例の基準にある、「18歳未満に見せるべきではない」というのは、適切でしょうか?
 僕はそうは思えません。
 先のゾーニグの際に書きましたが、発信は、「成長段階に応じて」制御すべきなんです。
 第二次性徴も過ぎて、異性に対して好奇心を持ち、性衝動も増してきている。
 性に纏わる葛藤や鬱屈、人間関係の軋轢、悩み。
 どれも、10代で経験しうる現実です。
 誰もがいずれ直面する事です。
 そんな年齢の青少年に、性的な情報を与えない、というやり方が、適切かつ健全なのか?
 僕はとてもそうは思えません。

 自治体や国や、或いはその規制に乗っかってしまった大人が、彼らの目と耳をふさごうとしても、それは不可能です。
 そして、目と耳をふさぐことを第一義にし続けると言うことは、彼らのリテラシー能力を奪うと言うことです。
 きちんと情報を提示しない限り、そして実際にそれらを精査させることをし、考えさせない限り、リテラシー能力は養われません。

 自転車に乗らない限り、自転車の運転は覚えませんし、会話をしない限り、会話能力は鍛えられません。
 
 18歳まで様々な情報を遮断し続けて、18歳になった途端様々な情報に晒されるとしたら、その人はとても未熟な、或いは不健全な情報の受け方をしてしまうのではないでしょうか?
 アメリカでは、青少年から全ての性情報を遮断して「純粋で健全な子どもを育てよう」とした結果、10代の妊娠とシングルマザーが加速度的に増加したというケースがあります。
 愚かしい話だと思いませんか?
 愚かしいけど、本当に大変なのは、そんな決まりを作った無責任な「大人」たちではなく、当事者なのです。
 
 
●規制主義者は、リテラシーとゾーニングの悪夢を見るか?

 ここまでの話で、リテラシーとゾーニングについて、「なるほど、そういうやり方もあるか」と、納得していただけた人もいるかと思います。
 いやいやそんなのは物足りない、不十分だ、という人も、また、そんなことは百も承知だ、という人もいるでしょう。

 ただ一つ。
 僕は文中で「規制主義者」と「今回の条例改定に、賛同する人、好意的に受け取る人」というのを、明確に分けて書いてきました。
 何故分けたかというと、こで書いた、「ゾーニング」と「リテラシー」の話。
 それを、規制主義者は嫌うからです。

 彼らは、ゾーニングなんて「させたくない」し、リテラシーなんか「学んで欲しくない」のです。

 規制主義者というのは、要するに、「公権力側として、規制をする側になることで、自意識の拡大を図り、権力の行使や、権威の拡大、利権の恩恵を受けたい人たち」です。
 例えば、公権力を得た途端、「規制に反対する表現者」から、「規制、排除を推進する弾圧者」 側に回る、元小説家のお金持ちのボンボンなどは、そうでしょう。
 
 彼らはどんなに 「市民の立場に立って」 等と口では言っていても、実際には公権力側に立っています。
 だから、民主主義も人権も、表現の自由も、「どうでも良い、いやむしろどんどん規制したい」 と思っているのです。
 
 彼らの規制論は、支配者側としての規制論です。

 例えば、条約の規定範囲を明確にしないことで、「いつでも好きなように色んなものを摘発できるかのような権力」 が得られます。
 実際に、「いつでも好きなように摘発する」かどうかは、問題ではありません。
 要するに、武器を使うかどうかではなく、武器を持っていることを誇示するだけでも、彼らは公権力としての利益を得られるのです。
 いつ、どういう理由で取り締まられるか解らないで、ビクビクしなきゃならない、というのは、彼らの望んでいる状態なのです。
 まるで江戸時代のように。

 彼らの育てたい、「健全な青少年」とは、そういう事に疑問を持たない青少年です。
 国や自治体や公権力が「良し」と言ったものだけを受け取り、それをそのまま信じ込み、疑問も不満も持たず、ただ働き、納税し、死んでゆく。
 ゾーニングとリテラシーで、「自分で情報を吟味し、健全な精神に基づいて判断する」 青少年なんか、増えて欲しくないのです。
 自由も、民主主義も、人権も、自らなげうって、公権力に差し出す人間こそが、彼らの育てたい人間なのです。
 
 彼ら公権力に依って立つ人たちが欲している、「健全な青少年」とは、そう言うものです。

 僕はそれを、「愚かな奴隷」 だと思います。

 もし貴方が、彼らのように公権力側で規制弾圧をする側に回りたいというのであれば、成る程彼らに従ったフリをして近づくのも良いでしょう。
 もし貴方が、自分自身や、或いは子どもや孫たちを、「愚かな奴隷」にしたいのであれば、何の疑いも持たずに、彼らに権利と責務を売り渡せばよいのです。
 それはきっと、楽で安寧な方法なのかも知れません。 


●本当のところ、僕らは既に売り渡している、あまりにも多くの大切なものを

 本当のところ、我々は既に権利の一部を、公権力に売り渡していて、そのこと自体に無自覚でもあります。
 
 例えば何故か、「デモなどをするのは、社会通念上好ましくない、反社会的行為だ」という認識があります。
 とんでもない話です。
 デモとは、民衆が為政者や権力者などに対して、「我々はこれだけ怒っているのだ」という事を意思表示する、正当な行為です。
 だというのに、今回の件に反対を表明している人たちからも、「デモなどをすれば、気持ち悪がられるだけだ」とか、あまつさえ「議員にメールなどを送ることも、印象を悪くする」等という意見も出ているのです。
 そして、安いっぽいニヒリズムに陥って、「何、そんな事にマジになってんの? どーせ反対したって何も代わりゃしないよ」 と、ハナから負ける気満々になっているのです。

 おかしいと思いませんか?
 国民主権だというのに。民主主義だというのに。
 意見を表に現す行為が、倦厭され、バカにされ、或いは反社会的とみなされるなんて?
 
「日本はデモも暴動もない、治安の良い国だなー」 なんてのは勘違いで、「日本人は、デモも暴動も起こせないほど、政府に飼い慣らされた情けない国民だなぁ」 っというのが実情なんではないですか?
 
 怒ること、異議を申し立てることが無くて、デモや暴動が起きないのは、平和な証拠です。
 怒ることも、異議を申し立てるべき事もあるのに、デモや暴動は愚か、有権者の当然の権利である、政治家、議員に意見を送る事すら、「しない方が良いのでは」等と考えてしまうなんて。

 そんな事だから、市民や国民に知らせられぬまま、密室でこねくり回した人権無視、民主主義無視の条例や法案が、当たり前のように提出されるのです。
 それが、「ごく当たり前のこと」になっているのです。


 …あ、勿論、「今すぐデモを起こせ! 総括よ! オルグっちめぇ!」 ってな話ではありません。
 デモも抗議もハナからする気アリマセンヨ、という姿勢を見せていること自体が、彼らの思う壺だ、と言うことです。
 最初から、交渉カードを捨てて掛かることほど、愚かなことはないでしょう。
 

●漫画を守るとか、ゲームを守るとか、そういう話ではないのです

 彼らが脅かそうとしているのは、漫画でもアニメでもゲームでもありません。
 我々全員の、権利です。
 誰かの権利ではありません。
 僕らの権利です。
 
 我々一人一人が、みんな違う顔をした世界に一つだけの花…花とか木だとします。
 彼らは、口では、「この中にいる、悪い花を取り除くよ」 と言います。
 しかし、彼らが脅かしているのは、我々が依って立つ大地そのものです。
 民主主義、人権、表現の自由。
 そういう、我々が根を下ろしているはずの大地そのものを、蔑ろにしているのです。

「自分とは関係ないところで、しよーもない連中を規制してくれるんだろ?」
 なんて話ではないのです。
 その、「しょーもない連中」と同じ大地の上に、我々は根を下ろしていて、彼らの根を抜き、大地を荒らすことは、そのまま我々の根を千切り、大地を荒らすことに他ならないのです。
 

 漫画やアニメなどのメディアを、何らかの形で制限するべきだ、という考え方に沿うとしても、今回のようなやり方に従ってはいけないのです。
 まず、公権力に押さえつけて貰おうとしていけません。
 また、結果として条例や法規制の形を取るとしても、そのためにはきちんと議論をして、民主主義に乗っ取ったやり方でなければなりません。
 我々で、決めるべき事なのです。
 何処かの誰かの、勝手な思惑に、乗っかってはいけないのです。


 ひとまず。
 ここ数日どーにもモヤモヤしていたことなどを、だらだらとですが纏めておいたのです。
 纏めて書いたのです。
 とても肩が痛いのですっ!

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まか

おつかれさまでした!!読ませていただきました。
関心のない知人に見せて回りたい気分です。
by まか (2010-03-19 22:17) 

ディーヴァ

とてもわかりやすい内容で自分が簡潔に言葉に並べるのも難しい事まで賛同できます。

あとデモに関してなのですが、今デモに反対してるのは、日護会のような他に目的があってこの問題に怒りを持ってる人たちを何とか取り込んで自勢力にするための便乗デモに参加する事への批判ではないでしょうか。
今回の規制に賛成の自民党はほとんど何もなく、キーマンであった民主党を真っ先にバッシングしておりましたし・・・

もちろん昨年この問題が起こった最初のころは、何もせず一切おとなしくしていれば、またいつか元に戻るよみたいな日和った人もいましたが・・・
by ディーヴァ (2010-03-19 22:43) 

空

私がもやもやして、でも言葉にできなくて歯がゆかったことを
すっぱりと簡潔にまとめてくださったことに感謝します。
再びこの文章を自分の中でかみ砕いて、
周りにも広めていきたいと思います。
ありがとうございます。
by 空 (2010-03-20 00:32) 

千年

大変、ためになりました。
「表現の自由」「ゾーニング」「リテラシー」
この三つの言葉の意味を、今まで正確に理解できていなかった事がよく解りました。
先にコメントしておられる方と同じように、私も自分の中で何となく形はあるものの考えを上手くまとめられていなかったのですが、
こちらの記事を読んでとても心がスッキリしました。
解りやすくまとめてくださってありがとうございます。
何度も読んで、よく考えてみたいと思います。
by 千年 (2010-03-20 02:31) 

通りすがりの

今回の問題点が非常に分かりやすい形でまとめられた文章でした。
問題点だらけ、というか問題点しかない改正案にも関わらず、周囲は関心を抱いていない人だらけです。
そういった人達に是非ともこのページに足を運ぶように伝えたいと思います。

私も不勉強ながら、公権力側が表現の自由を妨げようとしてきた例をいくつも心得ておりますが、その結果、文化的に豊かな表現を持つことになった例は一つも知りません。
これからこの国で生きていく人間として、自分達に続く世代の為にも微力ながら全力で戦う決意をこの文章で新たにすることが出来ました。
by 通りすがりの (2010-03-20 10:29) 

NO NAME

コメント失礼致します。
お疲れ様でした。
今回の条例について正しく語って下さっただけでなく、現代を生きる十代として、また表現者を目指す身として、「表現の自由」という目に見えない、一見すると価値の伝わり難いものの大切さが解りました。
そうですよね、こちらのブログも、このコメントも皆さんの他のコメントも、まず「表現の自由」が無ければ書けませんし、読めないんですよね…。

是非、反対派・賛成派の方は勿論、部分反対派・賛成派の方、この条例に興味や関心をもたれていない方にも読んで貰いたいです。
素晴らしいものを読ませて頂き、嬉しいです。本当に有難うございました。

ちょっと感動で興奮しながら書いてしまいました…。乱文・長文をお許し下さい。
by NO NAME (2010-03-20 15:52) 

kat

読ませていただきました。非常に的確にこの法律が下地としている基本的な思想の危うさを指摘しておられると思います。
今回の非実在青少年関連の騒動は、こちらで述べられる基本的な“異常な”思想、信条に加え、
実際の条文に無理がありすぎて、多方面の矛盾を孕んでいたことが、採決先送りの理由だったんでしょうね。
私もリテラシーこそが“健全な青少年”を作るために最も重視されるべきものだとは思いますが、ゾーニングについてはしなければいけない事だとは思いますが、いくら施したところでそれが規制派への説得材料にはならない気がしています。
よく言われる事ですが、「『嫌いだ嫌いだ』という人は、嫌いな物の事をよく知らない」これは本当に深刻な問題で、どれほど業界が自主的にゾーニングを強めていっても、心ない大人の手を介して子供にそういったものが渡るような事例があれば(まず間違いなくあるでしょう)、彼らにとってはそのゾーニングは不十分だと感じられるでしょう。
そういった強硬派を説得することよりも、どういった問題が起こっているかを広めることの方が彼らの動きを封じるためには有効なのかもしれません。
しかし、今回の騒動をとりあげるマスコミの報道を見ている限り、その道は険しそうです。


by kat (2010-03-20 15:58) 

MY

この機会にネットにおけるゾーニングなども考えなければいけないのかなと感じました。
ネットは自由であるべきなどの主張も見受けられますが
個人サイトなどで淫猥なイラストを掲載し、18禁未満は閲覧禁止などの文言を掲載するだけで
ゾーニングが機能しているかと問われれば疑問を抱かずにはいられません。

ネットを利用している個人個人もきちんと考えなければ
今回の件に関しての問題定義の本質が見えないのかもしれません。
by MY (2010-03-20 18:39) 

MY

すみません、ちょっと明確に補足させていただきます。

問題定義している側も自身を一旦冷静に見つめなおす必要があると感じました。
絵を描いている人で健全ではないイラストを誰でも見られる常態で掲載したり
個人サイトや匿名掲示板にそのような画像を掲載したりする人が
今回の件にただ苦言を呈するのみでは、説得力に欠けると相手側に捉えられての仕方ありません。

それらはその個人に対して問題定義をすれば済む問題ではありますが
相手側の問題だけではなく、その問題定義に内包されている自身の事に対しても真剣に考え成長しなければ
これらの論議が全て無駄に終わってしまうのではないかと感じました。
by MY (2010-03-20 18:57) 

milk

とてもよくわかる内容でした。
この条例の報道に対し、マスメディアのメディアリテラシーが歪んでいるように思えてなりません。
反対の声を上げると共に、この法案はどのようなもので、どのような問題点を含んでいるのか、広く世間の方々に知ってもらうことも必要なのでは、と思います。
ひとりひとりの世間の声が大きくなり、それが議員さんを後押しすることへと繋がり、今回の継続へと動いたのですから。
世間に知ってもらい、問題点を理解してもらうことはとても大きな力になると思います。


by milk (2010-03-20 19:09) 

haniwa

非常に読みやすく、分かり易かったです。
こう言った発言と努力が、
市井や立法、報道の場に普通に存在する世で
子供が育てばと願います。
by haniwa (2010-03-20 20:26) 

3156

わかりやすかったです。
一部の人にとって気に入らない表現をしただけで逮捕されるような時代になれば非常に恐ろしいことです。

by 3156 (2010-03-20 20:59) 

ask

長いのに一気読みさせる力のある文章、オンラインで初めて見るような気がします。説得力全開です。素晴らしい。全都議に読ませたいです。
by ask (2010-03-21 01:38) 

ask

無粋かもしれませんが、玉に瑕の誤字を指摘させていただきます。
特攻→特高
俗情→欲情
正義漢→正義感
ねっと→もっと
せっかくの文章ですし、これからも沢山の人が見に来ると思いますので。
修正後はこのコメントは削除願います。
by ask (2010-03-21 01:41) 

いたっちょ

とてもわかりやすく書いてあったので事後承諾で申し訳ないですが自分のmixi日記からリンクさせて頂きました
まったく関心のない人や賛成する人たちはやはり考えが安易すぎます

自ら考え最良の行動を!
by いたっちょ (2010-03-21 03:09) 

まきぼう

リンク貼らせていただきました。
うちは創作とは関係のない猫ボラのブログですが、
ここ数日、都条例の件にかかりきりになってます。
昨日のエントリを拝読し、涙が出ました。
まさにずっと欲しかったものを書いてくださり、
ありがとうございます。
引き続き、今夜アップ予定のエントリからもリンクすること、
どうかお許しくださいませ。

例えどんなに嫌な相手とでも、共存の道を探さねばならない。
今日からは自分自身にもこの言葉を言い聞かせ、
気持ちを新たに、議員さんへの手紙書きを、がんばります。
by まきぼう (2010-03-21 09:16) 

guriko

リンク貼らせていただきました。
よろしくお願いします・
by guriko (2010-03-21 16:56) 

摩亜

とても分かりやすかったので、サブブログの方へリンク貼らせていただきました。
臭いものに蓋をするだけで、『健全な』青少年が育つなら誰も苦労はしないと思います。
by 摩亜 (2010-03-21 18:19) 

ぼんと

この条例改正案の意味するところ、その本質を大変分かりやすく噛み砕いて明示してくださり感謝いたしております。
一見すると「最近の」「漫画やアニメだけ」をどうこうしようという話のように見えますが、実は昔ながらの「自分の頭でちゃんと考える国民はめんどくさいな。色々バレるし突っ込まれるもんな。俺たちが喜べって言ったものだけ喜んで、俺たちが攻撃しろって言ったものだけ一斉に攻撃するような国民になってくれたら楽で良いんだけどな。あ、じゃあそうじゃない国民を逮捕できるようにすれば良いじゃん」という例のアレだったんですね。
また「健全な青少年の育成」という素敵なスローガン(?)も、「民族を浄化しましょう」とか「治安を維持しましょう」とかいうのと同じように、こういう言い方をすれば誰もが中身も見ずに賛成してくれる「おなじみの綺麗で分かりやすいタイトル」の一種だったんですね。

使われている言葉の美しさや、言っている人々の表面的な勢いにすぐに乗ってしまうのではなく、「えーっと、ちょっと待った。つまりこれはどういう…?」と、自分でよくよく時間をかけて、ばらしてならして考えて、離れたところから見てみることが大切なのだとつくづく実感いたしました。
自分の身を守るためにも、孫子の身を守るためにも。
by ぼんと (2010-03-22 02:07) 

tsomeq

大変有意義な文面、参考になります。ありがとうございます。

少しずれた話になりますが、経済的な側面で意見させていただきます。

私どもはいわゆるポルノ系のものも含めた様々なものを
流通させているサイドの仕事をさせてもらっているものです。
また改めて別の記事で書いていただければと思うのですが、
不況のあおりを受け、漫画やゲームなどあらゆるコンテンツの販売が低迷しています。
このため、小さな販売店では特にそうですが、
同じ価格の高尚なコンテンツよりも、アダルトで過激な内容のものの方が売れるので、
より手早く売り上げにつなげやすいという実情があり、
制作側もそういったコンテンツのウェイトを高くする傾向が見うけられます。

規制には反対ですが、タバコや酒類のように、
税金を多く支払うなどの措置をとることにより、
緩やかな流量規制が必要だと私は考えています。
このままいくと多くの高尚なコンテンツを発信する能力のある作家の育成が危ぶまれ、
エログロメディア大国日本となるように思われます。


by tsomeq (2010-03-22 11:17) 

太郎

あなたも病気なんですね
by 太郎 (2010-03-22 22:21) 

無関係の人

表現の自由……
他人の作品を平気ででパクって自分の作品のように発表するような人が、表現の自由を主張するから、あまり良い印象は感じないんですけど。(汗)
表現の自由なんて、しきりに主張する(できる)ような権利じゃないと思います。
それから、例に挙げている「R-18」「R-15」は、自主規制ではなく映画界では正式な規制です。

>「ゾーニング」で発信を制御し、「リテラシー」で受信側が判断する。
これだけが『正しい主張』だと感じました。
それ以外は趣旨が変わっていたり、想像で書いているので、反対の仕方が間違っています。

へぼやさんを含めた反対派の方々の主張は、『表現の自由だけ』なので脆い気がします。
どちらかと言えば「ふーん、いいんじゃない?」寄りの私ですが…
説得できてませんよ!
by 無関係の人 (2010-03-23 02:27) 

とおりすがり

規制されようがどっちでもいいやって立場でしたし、声高に反対している人たちの気持ちがあまり理解できませんでしたが、この記事を読んで理解できた気がします
by とおりすがり (2010-03-23 06:57) 

かに

>無関係の人さん
このコメントを見るかどうか分かりませんが、

>それから、例に挙げている「R-18」「R-15」は、自主規制ではなく映画界では正式な規制です。

映倫は「日本で上映される映画の自主的規制のための民間機関」です。
公的機関ではないところが今回のポイントですよ。
by かに (2010-03-23 20:42) 

無関係の人

かにさん>
ポイントを教えて下さって、ありがとうございます。

う~ん。
コメント後、色々と考えてみました。
しかし、賛成か反対かは迷ってしまいます。
それでも、ブログ主さん(へぼやさん?ヘボロ・ミッキーさん?)の「権利の主張」という反対の仕方は、良いとは思いません。
もっと、何か、沢山の方向から攻めた方がいいと思います。

(そして、反対派の人々がネット上だけでなく現実で団結できるのが最良だけど…)
しかし所詮は私は「無関係の人」と名乗っているので、この程度で終わります。
by 無関係の人 (2010-03-24 02:40) 

トライデント

権利の主張をしつつ、他の方向からも攻めていかないといけないのかな?

この問題はアニメどうのこうのではなく、王などの権力者からの更なる圧政に対しての抵抗だ。と考えるのがいいみたいですね。

素晴らしい内容であると思いました。

それにしても会議の内容・・・あれはどうやら人として最低の部類に属する方々が議論してるようですね・・・もっと可視化できないのでしょうか・・・
このままじゃ隣のアカの国見たいな感じになってしまう。(実は工作大綱でメディアの操作などの項目があったりする)
by トライデント (2010-03-25 04:51) 

16ビット

初めまして、拝読させていただきました。
おっしゃること、一々もっともだと思います。
ゾーニングについては理解していましたが、リテラシーを知りませんでした。
お恥ずかしい限りです。
私も権力の行使は行き過ぎと感じていました。
それは中世の魔女狩りと、根が同じではないのかと。
この文章を、もっと多くの人たちに読んでほしいです。
分かりやすく、長さを感じさせない魅力的な文章でした。(もちろん、これだけで判断をせず、可能なかぎり自分で調べてほしいですが)
都外の人間が動いていていいのかと、不安でしたが、これは東京都だけの問題ではないですね。

思いつくまま書いたので、読みづらくて申し訳ないです。
私も、できる範囲で動き続けます。

『無言圧力
 数の暴力
 自由は既に亡くなった』

と、ならないように。

ps.ゾーニング、大事ですよね。
   お茶の間で、アク○リオンのCMが流れた時は恐ろしく痛い沈黙がながれました。(^w^ ;)
by 16ビット (2010-03-27 02:32) 

早良

はじめまして。
大変わかりやすく共感を持って拝読させて頂きました。
ありがとうございました。


by 早良 (2010-03-28 22:42) 

TRK

こんばんは、初めまして。
非常に的確かつ丁寧におっしゃっていただいているので、うれしく思いました。誠に勝手ながら、当方のブログでも紹介させていただきました。ご了承いただければ幸いです。
by TRK (2010-03-29 22:22) 

村上

非常に立派で理知的で同意できるけれど。
規制派は、こういう言葉を聞く耳を持っていない。
相手を理解しようとか思っていないから、
権力を持って規制しようという強硬な姿勢をもてるのです。

とてもよい意見だけれど。
規制派に対抗するには、やはりロビー活動しかないのです。
議員に意見を伝え、投票を左右するぞ、と圧力をかけ続ける。
これしかないのです。

あと、今こそ表現規制反対の、オタクの利益を代弁する、
族議員という存在が欲しい。私は、
たるい良和.保坂展人という人に期待している。
by 村上 (2010-03-30 22:46) 

@さら

>無関係の人さん
そういった権利の主張をする(この場合なら表現の自由)ということが倦厭されるというのもまた切り売りされた権利なのだと思います
この話題はある事案に関して「これは表現の自由だからいいんだ」というものではなく
「これをこういった事由で規制するようになっては表現の自由そのものが脅かされることになる」ということなのではないのでしょうか
できるなら表現の自由を守ろうとすることの大切さを広く一般に知らせられることができればとは思うのですが難しいですね

>ゾーニングとか
アク○リオンというかパ○ンコのCMですね
ゴールデンタイムにパ○ンコや生理用品のCMが普通に流れるようになったのはいつの頃からだったか
あと本文中一箇所ゾーニングがゾーニグンになっていたのですがメールなどからお伝えした方が宜しいのでしょうか
by @さら (2010-03-31 20:46) 

なえ

大変ためになりました~
表現の自由に規制を掛けられるのでは…という程度の危機感しかなったのですが、
それ以上の問題なのだと解り易く理解する事が出来ました

実際、私は規制するな、ではなく曖昧ではなく、もっと誰もが納得の行く説明をして欲しいという気持ちと
完全に規制するのではなく、店内などでエリア別するなどの方法はないかと考えてました
今ではそれこそ有害な図書とはではいかなくても、
普通に子供が入る場所にもどうどうとエロ本がおいてあったりして
さすがにこれは…と思ってしまうので

そういうところから直して欲しいなーと思っても
署名やFAXで送ったところで未だに反応を示してくれてませんね…

実際、多くの人が抗議を行っていると思うのですが、
それに対する反応がないというのは本当に民主主義というには完全遠くなりつつあってそういった部分でも不安です
by なえ (2010-04-01 15:11) 

通行人

長い 3行で
んでもって、読んでもどーでもいいとしか思えん
by 通行人 (2010-04-11 00:26) 

ak

分かりやすかったです。
浅野都議のブログからきました
条例に対してモヤモヤと感じていたものが
綺麗にまとまった気がします。
by ak (2010-04-12 08:05) 

kafuka

ああ、気持ちいいほど正論ですね。まさに道理。
納得です。

反対の人って結局根拠も何も提示できていませんね。
ましてや、どうでもいいって人は・・・
理解力が足りないのか、無知なのか。
気の毒な方たちですけど、選挙権も持っている成人でしょうから
せめて、興味だけでも持ってほしいものですね
by kafuka (2010-05-27 01:51) 

履歴書の見本

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
by 履歴書の見本 (2012-06-15 12:38) 

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