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「人を試しているときは、自分もまた試されている」 の話 [ヘボ論]

 先日~ (ビビる大木風)。
 まぁとある掲示板での風聞、なので、事実かどうか、本当にそういう発言がご本人からされていたのかどうか、に関してはさっぱりわかりませんが。
 僕らの大好きな品川庄司の品川さんの言葉として、こういうものがあったという事がかかれていたのです。
 曰く、品川さんはまだあまり親しくないほかの芸人やスタッフなどと、相方である庄司抜きで飲みに行く機会があると、必ず 「あ~、庄司死なねぇかなー」 で、話題を切り出す様にしているのだ、と。
 で、それはWhy何故に? かというと、相手がそのネガティヴな相方の愚痴トークにノってくるかノってこないか、で、その相手を見極めようという事なのだそうです。
 まぁそんでアンタッチャブルのお二人のときは、この話題に一切乗ってこなかったので、僕らの品川さんはこの二人を大いに信頼しているのだ、という。
 そんなエピソードなのですが。

 最初に書いたとおり、所詮掲示板の風聞ですから、真偽のほどはわかりませんし、実際これが本当かどうかはどうでも良いのです。
 興味も無ぇなっ!
 ただ今回の僕の出す話題は。
 あ、俺似たような経験あるわ。
 というお話。

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えいえんもなかばをすぎて [ヘボ論]

オタク中年化問題(要約)
 http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070716/p1

 まぁ、そんな話ですよ。(リンク先参照)
 これはさ。
 別にこう、世に言う 「オタク論」 だとかそういう話では無いと思うのですよ。
 よーは、70年代段階Jr.世代オタク、つまりは就職氷河期世代のオタクであり、ポストバブル世代オタクである、今30代になっている人たちの中の、オタクとして生きてきた人が、実際にどう生きてきて、これからどう生きていくか、な話であって、本質的にはこのくらいの年になれば必ず直面する問題でもありつつ、かつ上に上げた世代的諸問題が関係した事でもある。

 日本でもっとも人口の多い団塊Jr世代は、成人するとほぼ同時期にバブルが崩壊して就職氷河期に突入した。そのとき、学業エリートを目指していたのにもかかわらずその “約束” を反古にされたと思った層は、たとえばホリエモンのようなカタチで自分を裏切った社会にタチムカウ事を選び、ホリエモンになれるだけの学歴や器量がなければ、架空請求だのオレオレだののヤクザの下部組織的な詐欺集団になったりと、まさにウシジマ君的世界に身を投じたりもした。悪事にも走らず、かといって起業するほどのふんぎりもつかなかった、いわばほどほどにまじめで、ほどほどにバカで、そしてほどほどに臆病な、“ごく普通の”者たちは、あるいはニートと呼ばれる様になり、あるいはネットカフェ難民などと呼ばれる低収入の派遣フリーターとしてグッドウィったりして搾取されているのであり、総括よ! オルグっちまえ!
 バブル崩壊と、団塊Jr世代が社会に出る時期が見事何重なったのが必然だったのか不運だったのかはまぁ僕にはようわかりません。森ちゃんに聞けば良いんじゃない!? 
 とはいえ、それは当事者にしてみれば (その当時その時点で予見できたかどうかは別として) 結果として降ってかかった大災難ではあったし、それでなくても、単純に 「日本でもっとも人口が多い世代」 という時点で、まぁしんどいのは間違いなかったのですわね。いやー、全然気がついてなかったなぁ!
 で、またこの、バブル経済の成長と、オタクカルチャーの隆盛はシンクロしていて、ある意味ではバブル文化の表と裏で言えば裏の部分でどんどん広まっていって、だからこそこの世代にもオタクが潜在的に多い。
 表のバブル文化が、トレンディドラマだとかマハラジャだとかバンドブームだとかになったのに対して、子供文化だったモノをそのまま拡大させていったりしつつ、サブカルチャーと適宜融合したオタク文化はすくすくもずくずくずくと育ちつつも、もちろん忘れちゃいけない宮崎ツトムちゃん大ショックを皮切りに、表向きにオタク=異常者としてのバッシングが始まるのもこの世代から。
 それでもなお、オタクで居続けた人たちはいて。
 そしてそういう人たちもまた、当然世間の事情とは無関係で生きてはいれらなかったわけで。

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エラいとかエロいとか最初に言い出したのーはー 誰なんじゃろーおー [ヘボ論]

 俺かもしんないっ!

知的鑑賞は感情的消費よりエラいのか。叙事は叙情よりエラいのか。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20070501
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20070502
ハリウッド映画的な価値観が全面化している世の中で
http://anond.hatelabo.jp/20070501113314
海原でも山岡でもなくて富井副部長として
http://www.sside.net/2007/05/post_73.html
ある種の創発性の発揮が逆に自由な発想を圧し潰す
http://d.hatena.ne.jp/Dryad/20070502/p1


 このりあたりの話。
 コメント描いていたら長くなりそうな (というかまぁ、他人様のところに無闇に長いコメント書いてしまうのは僕の108の悪癖の一つなのですいが) 気がしたので、ちょいとエントリーにてみようかなと思った次第。

 要は、京極堂が言っていた通りの、「批評はすべて正しく、すべて間違っている」 ってな話なんじゃないかなぁ、と思うのですね。このあたりのやりとりは。

 片方に、「世の中には正しい批評があって、その正しい批評が出来るだけの知識と感性を持った人間が居る」 という立場にいて、「だから、正しく無い批評が力を持ってしまうことはよろしくない」 という論がある。
 それが、例えば 「味の分かる人間、分からない味音痴」 ってな言い回しに顕れたりするわけです。
 味音痴が生意気に食い物の話をするな、って事になったりもする。

 片方は、「正しい知識を持ち、他者より秀でた優れた感性を自認する人間の正しい批評かどうかなんて事には、別にたいした意味はない」 って立場にいる。「だから、正しかろうが間違っていようが、言いたいヤツは好きなだけ言えばよいし、それを受け入れるも受け入れないも作り手の自由だ」 という事になる。

 僕はどっちかっつうと後者なんですね。
 けど、前者の前提も解る。

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純愛エロゲは正しい [ヘボ論]


 という見出しでございます。

 まぁまた、ここ数日 「ストロングホールドをやってはイライラし、ストロングホールドをやらねばうつうつし」 の日々ですよ。
 いらいらするよーな難易度のマップをやるなよ、と、我ながら思いつつ、やり始めては 「ええいこんなんクリアでけるかい!」 と終わらせて、しばらくすると起動してやり直す。
 まぁRTSのシステム的な良さというのは、「クリアするための所定動作を指示通りやるゲーム」 というワケでは無いので、後になって、「あー、あそこはああいう風に施設を置いて、もう少し早めに武器生産を始めて、あっちにこう壁を張れば巧くできるかもしれん」 みたいな試行錯誤が、ゲーム自体を起動していなくても出来るところであり、出来てしまうが故にしばらくしてまたやり直してしまうところでもあるのですが。
 お使いゲームやなんかだと、お使いそのものに詰まるか飽きたら、こっちは別に工夫するところなーんも無いですからねぇ。変なこと妄想する以外は。
 ま、工夫といっても結局はプログラムの想定の範囲内の工夫でしか無いので、それでもって 「自由だ! BE FREE! だ! RPGなんてやるヤツはバカだ!」とか言い出すのは、とても恥ずかしいのでやめた方が良いと思いますよたっつぁん (微妙に時事ネタ)。

 で。
 このマクラは、見出しとは何の関係も御座いません。

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「萌え」 のニュアンスとかでアレなのってどうなんよ [ヘボ論]


 たまーにホラ。僕もクソオタク人生長く暮らしているので、オタク絡みのいろんな議論反論オブジェクション見て回ったり回らなかったり、「回転回転回転」 したりするんですけど、なんかこなーだ、「ワタクシ、萌えの研究をしている者です」 というヒトみかけまして。
 んで単純にカンサンジュンに論旨を抜き取れば、「萌えという言葉でマイルドな雰囲気を持たせようとしているが、結局は児童ポルノに欲情する性犯罪予備軍の温床であるです!」 というよーな事を述べておられたのですよ。
 ま、異常者魔女狩り大好きな大谷流 「フィギュア萌え族」 的スタンスです。
 場所はSNSなのでリンク張りません。
 で、当然それどうよとナンヤカンヤと言われるわけですが。
 んでですよ。
 おおざっぱに言えばこの 「萌え」 という言葉の解釈論で常に火種になるのは、「そこには本来、エロスありきで萌えー、なのか、萌えという言葉に後からエロスなニュアンスが足されたのか」
 みたいなトコロなワケなんですけどもね。

 なんつうかですね。
 ぶっちゃけ僕に言わせればですよ。
 良い年こいた大人が、「チンコがピクっとしたかしてないか」 なんてどーでも良いよーな事でだらだらもめるなよという気分です。
 そんな事で揉めて良いのは、渡辺校長の・平成ハレンチ学園 だけです!

 人間の意識なんてそもそもそんなに明確な区切りがあるモンじゃなし、ちんこもむずがゆくなりつつ、それとは別に、同時進行に甘ぁ~い気持ちになって萌え~ってゆーとってもおかしくはない。
 そんなもんでしょ。
 ちんこ立たずに好きなもの (美少女フィギュアでも、メイドカッフェの女給さんでも、鉄道でも軍艦でも) を愛でて和むときに 「萌え~」 とか言っているときもあれば、ちんこビンビンにしつつもなーんとなく甘い気持ちになって 「萌え~」 とかいうときもあろーもんですよ。

 萌えという言葉のニュアンスに全く性的な意識は含まれない、というのも、萌えというのは全て単なる性的な欲情に過ぎない、というのも、根っこの意識に、なんつうか 「性的なニュアンスは、全て不道徳で忌避すべき事柄、断罪されるべき衝動である」 とでも言い出しかねないほどの、不寛容さというか頑迷さというか。
 どこの何教の潔癖主義だよ、という気分がします。
 汝、姦淫する無かれ。心の中でも罪でありますと言い出す気ですかと。
 そこまで性的なニュアンスが存在しうることを否定するってぇー事自体が、むしろ不健全じゃーないかえと思いやすぜ。

 萌えだろうと欲情だろうと恋心だろうと、そんなものん全部脳内で当たり前に起こる電気信号を勝手にカテゴライズしているだけでしかない。
 脳の中のそういう反応が、単に意識として無意識として面に漏れ出てくるだけの話だし、そしてそれらの意識はあらゆる面で明確に千匹が出来なくてあたりまえのもので。
 うんこもするし屁もこくし、勃起もすればあふれ出る愛情に震えたり、誰かのことに思いをはせ涙したりもする。
 それらの反応が、同時に脳内で起きていたって何もおかしかない。
 そういう事全てをひっくるめた上で人間なのに、なんでそんなアタリマエの事をスパっと無視して、「萌え」 は完全な性欲か、全く性欲ではないか、みたいなトンチンカンな事いえるのかなーと。いうのが謎ですよ。
 別に言葉の成立過程を調べようとかそういう視点は良いんですけどもね。

 

 まぁとりあえずそれとして、僕は 「ハーレィちゃん萌え~」 っつーポジションでヨロシク。

バットマン:ハーレイ&アイビー

バットマン:ハーレイ&アイビー


世界の中心でうんこを漏らす俺 [ヘボ論]

 いえ、漏らしませんよ? 漏らしません、漏らしません。俺を漏らさせたらたいしたもんですよ?

 まぁ、最近の若い人たちの間で流行っているアレしてソレしたナニですけれども (何だよ)。
 どーもいわゆる、「セカイ系」 と言われるタイプの作りのハナシがが苦手で御座いますよ。
 ナウなヤングにバカウケななっ!
 
 これに関してボンヤリとした理由はあったのだけれど、最近別のブログにあったテキストで使われていた言い回しがすごくしっくりときたのですが、まぁ曰く、「セカイ系というのは要は、“セカイの中心は自分たちだと叫ぶ話” 」
 なのだそうな。
 セカチュー! セカチュー! ピカァ!
 
 つまり、物語の中の世界が、主人公とその身の回りで 「閉じて」 いるのに、 それであらゆる世界の事情すべてが現されるという語り口で物語られる。
 狭い世界の枠の中に、「きみとぼく」 と 「せかい」 だけがぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、広がりと、余地がない。
 主人公達が歩き回るトコロ以外でも人々が生活して居る事が感じられるという広がり。
 主人公達の感情衝動行動それらのスキマにも、あらゆる人々の思いがあるという余地。
 そういうのを想像させるだけのモノがない。

 まぁ上でリンク貼ったはてなダイアリーの解説によれば、<きみとぼく> - <社会> - <世界>  という図式の中の、<社会> というものがスコンと抜け落ちているという事らしい。

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「ヤラカイココロ」 (タレント・室井佑月さんの記事) [ヘボ論]


 だいたい僕は基本的に、平気で嘘をつくし、当然のようにきれい事を言うし、辺り構わず毒を吐いては、自分のコトバに全く責任を持たない、というのを信条にしています。
 まぁ、この時点で既に嘘なんですけどもねっ。
 実際には、遠慮して様子を見ながら嘘をついて、恥ずかしながらときれい事を言って、なるべくならばと笑いを混ぜつつ毒を吐いて、まぁそれで最終的に出来るだけ責任の及びにくいようなオチをつけてお茶を濁す。
 この潔さが僕の売りなんです! イェー。ほらまた嘘付いた。

 その、女々しい (差別よ!) までの小心ぶりを大全開にしつつも、僕の中でもやはり幾つかの覚悟すべきルールというものは存在していて、例えばその中には、「悪意を吐いたら、同じように吐き返されることは覚悟しておくべきだ」 というものだったりもする。
 僕がいつも、もちゃもちゃしたまどろっこしい文章で、他愛のないきれい事を言ったりするのも、一つに悪意の存在を出来る範囲で隠してしまおうというセコビッチな考えから来るモノでもある。
 (そういう意味でも、ペトロ三木はエライ。って、多分そう言われても本人は嬉しくないだろうけど)

 で、ちょいとまたネットで少しだけ話題になっているなんやかやを見かけて、僕は反省をしたのです。
 以前、『電車男ムーヴメントがオタク社会にもたらしたもの』 というエントリーで書いた事の、ケツのあたりの述べっぷりを。
 以前読んだ人は、それを踏まえていただきたく候。


 まぁまず何を見かけたかと言えば、この記事のスキャンである。
 (スキャン画像をまんまリンクして良いのかどうかは、まぁこの際ちと脇においておきます。
 本来的には、良く無いンだけどもな)

 http://para-site.net/up/data/4214.jpg

 タレントの、室井佑月さんのコラム記事。
 あちょこの溜息「オタク諸君!! 『電車男』 を見て勘違いするなよ~」
 というモノだ。

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59番目にやってきた電車の中の電波男 (混ぜすぎ) [ヘボ論]

 こんちゃ。
 暑いっスね。
 暑くてウダるいっスね。
 
 ここ最近、「ペトロ三木ブログストーキング」等と言っていた割に、全然更新していません。
 僕が更新しないときと言うのは、「なんか面倒くさい」又は、「どーも愚痴しか出てこない」というよーな状況だというケースが多かったり少なかったり。少なくなかったり多かったり。
 
 まぁ全多元宇宙にて周知の如く、僕の口から出てくる言葉、又は僕の指先が書き出す言葉というのは、おおむね 「与太」、「屁理屈」、「愚痴」、「きれい事」 の4つであります。
 他のことは専門外です!
 このあたりを僕なりのカクテルグラスで案配良く配分して何かを書く、というのが僕のスタイルで、かつ僕はこの『ヘボログ』 に関しては、「屁理屈多め、というか主体」という位置づけでやっていこうかにゃー、カニカニ、上海がに、カカカ、と、まるで初芝の取締役のような心で善処いたす所存です。おいおい、また都合良く上役が身代わりってどういう事だシマコー。
 そんなワケですので、どーも精神的に鬱屈していて、愚痴成分が多くなりそうなときは、他の「うんこ垂れ流し用」のトコロにぶりぶりと垂れ流しをしていたりする事が多かったり少なかったり、少なかったり多かったり。

 
 で、久しぶりの更新です。
 ハイ相変わらずの長い前置き。
 そしてなんだかんだで、色々あったので凄くカオスな更新。


 しつこいようですが、僕は基本的に漫画しか読みません。
 そんな僕ですので、当然読んでいないのですが、『電波男』という本があるそうです。
 あるそうです、って、なんだそのいい加減な物言いは。

電波男

電波男



 まぁ、ちょっと前にオタク論ごっこみたいなものをつらつら書いていたので、その流れの一つとして色々ネットで見聞しておったのですよ。
 『電波男』 に関して知らない人は、こんな当て推量のへっぽテキストより先にどこかで書評を読むかサイトを見るか本そのものを読むかしましょう。
 
 以前のエントリーで、さて『電車男』にかけられた呪いとはなんじゃろうとかいう感じの事を書きましたが、この『電波男』は、その呪いを別のカタチで解き放とうという一つのアプローチであろうと。
 つまり、『恋愛資本主義』 の呪い、です。

 『電車男』 のモノガタリは、オタクに向けては、「オタクという呪いにかかっているおまえらもガンバレば陳列棚にのることができるぜ」という囁きですし、所謂“負け犬女”に対しては、「今までハイクラスな商品がイケてるってお勧めしてきたけど、実はこういうピュアな商品も御座いますのよ」 というアプローチで、新しく金に出来るコンテンツとしての“オタク男”をプレセンテーションするというものでした。
 他のトコロは僕的にはどうでも良いです。ええ。
 以前これを僕は、“オタクという呪いをかけた側の視点”から、『美女と野獣』 のモノガタリだと述べったりアーノしましたが、これに対して、『シュレック』的なモノカダリだって、あるンじゃねーの?
 という考え方が、えー、こっちです。別の本。『59番目のプロポーズ』
 残念ながら、武田鉄矢は関係ないのですけどね。

59番目のプロポーズ キャリアとオタクの恋

59番目のプロポーズ キャリアとオタクの恋

  • 作者: アルテイシア
  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 2005/06/17
  • メディア: 単行本



 こっちの内容は、僕は無闇に知っているので書けるんですけど、書きません!
 嘘。少し書きます。
 おおざっぱに言うと、「広告代理店でバリキャリやってたおねーちゃんが、オタク的な意味でハイクラスなオタク男に告白されて、試行錯誤の末おつきあいする」 お話です。
 うわ、おーざっぱ。
 「視点が違うだけで、『電車男』 の二番煎じナンジャネーノ?」 と言われる向きもあるかと思いますが、似ているようでも根底にあるのが大きく違う。
 それがつまり、「『美女と野獣』 では、結ばれるために“呪いを解く”というイベントが必須だったが、『シュレック』 では、呪いは解かれることなく、そしてオーガはオーガのままとして、ただお互いを信じ、受け入れ、寄り添うことを決める」 という違いです。
 オタク男が、金をかけて美青年になるために呪いを解いて貰う必要はないのです。
 『59番目のプロポーズ』 において、そもそも「オタクである事」それ自体の本質は呪いではないし、そして呪いがかけられているとしても、それも受け入れてゆこうという意志が、このモノガタリを形作っている。

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現代呪術作法 (誰が『電車男』に呪いをかけたかRemix) [ヘボ論]

  
 中野の古本屋曰く。
 「呪いとは、それを呪として受け取ることで、呪いになる」

 たとえばそれはどういう事かというと。
 呪いのわら人形に、自分の名前が書かれていたのを見たとします。
 人型を使う呪術というモノは、それ自体は結構色んな地方やお国にあるのですが、まぁこの、「呪いのわら人形」 というヤツは、特に日本ではポピュラーな呪いの一つとして有名。
 僕は日本人なので、呪いのわら人形を知っています。
 だから、僕に向けて放たれたわら人形の呪いの存在を知れば、僕は、「自分が呪われた」 事を 「理解」 出来る。少なくとも、誰かが呪おうとしていることは。
 だから、ここに呪う側と呪われる側の合意が成り立ち、呪いという作法が成立する。
 仮に、僕が何らかの事情で、子供の頃からアチャペナマキア共和国に移住していて、つい昨日日本に帰ってきたとします。全然日本の風習も言葉も分からない。当然呪いのわら人形なんてものも知らない。
 その場合、僕が僕に向けて放たれた呪いのわら人形を見たとしても。
 知識がないために、それを「呪いだ」と解釈できない。
 よって、術者と僕の間に合意は得られず、呪いは成立しない。
 この場合もし、術者が僕に効果的な呪いをかけようとしたかったのであれば、アチャペナマキア共和国の文化圏で伝わる呪いの作法を使い、呪うべきなわけです。
 そうすれば、僕も自分が呪われていることを理解し、作法として成立する。

 とはいえ。
 まぁイワユル現代人の多くは、わら人形の呪いなンてものは信じていません。
 僕も当然、そこに霊力だとかなんだとかが働いて、僕に呪いがかかる、なんて事は信じては居ない。そこまでして僕を呪いたいと思っている人間が居る、憎まれている、という認識は、それはそれで凹むかもしれませんが、とりあえず呪いのわら人形では、それ以上の効果はあまり無いでしょう。

 時代的に、もはやわら人形では呪いの作法としての普遍性は持ちにくい。

 中野の古本屋曰く、
 「呪いとは、その地域、社会、文化、時代に合わせた作法、様式で行わなければ、効果は得られない」
 
 今の時代においては、別の作法がより効果的である、と。

 さて。
 時代の感覚をビビッドに感じ取るレーダーセンス軍閥な僕ちゃんが、ここ数日突然 『電車男』 流れで、思いつきのオタク論っぽい事をかましておりましたその一つのまとめ的記事なのですが。

 「おたくがおたくである事の、唯一にしてもっともど真ん中な理由とは、“良い年ぶっこいたらもうやんないべ、それ” 的な遊びや趣味に、全速力で夢中になるアホである、というところにある」
 「本来的には、おたくというものは呪いでも何でもない。しかし、それを呪いであると考える人たちは多く存在するし、呪い自体は既にかけられている」
 「最初に、おたくにかかった呪いは、ザキ・ツトムちゃんの、“子供殺して食べちゃった事件” に端を発している」

 まぁだいたいそんな話を散発的にしておったワケですよ。

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『幼女の首を絞め続けるしかないのだ』 って言われて───夏 [ヘボ論]

   
 ワールドワイドに全世界レベルで周知の通り、僕は基本的にあんまり本を読まない。
 まず漫画。とにかく漫画。漫画ばかりで日が暮れて、漫画を読んで糞をひる。あらオゲレツー。
 たまに文字ばかりの本を読むと来たら、山田正紀か京極夏彦。
 かなり気に入っているモノしか読まない。
 基本的に、テキストを読むのに結構体力気力を使うタチなので、そうそう乱読が出来ない。
 今現在、大好きな作家と公言してはばからない山田正紀の最新作、『神狩り2』 を買っておきながら、未だ積み状態というていたらく。本当に大好きな作家の作品でも、「よーし、読むぞ」 と気合いを入れるか、なんかのはずみで読み続けてしまうかしないと、なかなか読み始めない。
 そのくらい、実は本を読むのが苦手だったりはする。

神狩り 2 リッパー

神狩り 2 リッパー

 そんなわけで当然、いわゆるオタク論とかいうものも、ほとんど知らない。
 気が向いたもんでここ数日、電車男絡みのムーヴメントを軸に、オタク論っぽい事をだらだら書いてみたりしていたけれど、現在いわゆるどういうリクツがあって、どういう語られ方でオタクというものが扱われているか。実はさっぱり知らない。
 ぬっぺらぼうにソックリな人として有名なオタキングクリムゾン(時を飛ばすスタンド使い)岡田のトシオちゃんなんかは、自サイトで自分の著作を公開しているので、何かのハズミで何度か読んだことはある。あるけど、まぁそんなに熱心に読んだことはない。
 僕の中にあるいわゆるオタク系言論人に対する知識と来たらせいぜい、

 トシオちゃん=ぬっぺらぼう
 ピロチ=と学会ヅラ
 タマキ=ゲーム脳つぶし
 カラサワアニ=カラサワオトウトのアニ
 オオツカ=漫画ブリッコ

 だいたいこんなもんでしかなかったりする。
 あ、あとは、
 クレ=ハゲ
 くらい。

 で。
 まぁそんな僕が、たまたま先日次のような引用を見かけて、えれーべっくらこいただよ、というのが、今回の記事。

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